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深山観音堂
鳥居から始まりお堂までの感動が止まらないです。参道には水が溢れ湧水が流れており、水の音も楽しめます。茅葺き屋根のお堂は素敵で、中に安置されている観音様も格子扉の奥に、見れてしまいます。

深山観音堂

駐車場は広々してますが
Googleナビではここに案内してくれませんでした。

鳥居があります。ここから石段をのぼります。

神秘的な空間でした。

途中朱印所の案内があります。

さらに上へ。

山門。

右手には手水舎

手水舎奥にはには、稲荷神社でしょうか。

観音堂の説明書

跡地の説明書

左手には地蔵尊と石碑があります。

右手にも同じ間隔で地蔵尊と石碑があります。

お堂ななめから。

お堂内。

【出羽國 古刹巡り】(過去の参拝記録)
観音寺は、山形県西置賜郡白鷹町にある天台宗の寺院。山号は大深山。本尊は千手千眼観世音菩薩。通称は「深山(みやま)観音」。置賜三十三観音第8番。阿弥陀堂は、山形県最古の建造物で、国指定の重要文化財。
寺伝によると、観音堂の創建は平安時代初期の大同年間(806年~810年)、安親によって開かれたとされ、その後当寺は、観音堂の別当寺院として平安時代後期の1164年に長岡昌勝(宥清)によって開かれたとされる。中世以降は羽黒修験の影響を受け、会津仏教との交わる特異な場所となった。なお、現在の御堂は室町時代後期に阿弥陀堂として建立されたといわれる。本尊の観音像は江戸時代後期の火災で像の脚部を失い表面が炭化、以後秘仏とされている。参拝すると腰から下の痛みが治ると信じられ、ご利益があるとお礼にわらじやサンダルを供えるとのこと。
当寺は、フラワー長井線の終点・荒砥駅の北西5kmの、実淵川沿いの山間部入口の傾斜地にある。入口には両部鳥居が立ち神仏習合の名残りを強く残している。そこから古木が立ち並ぶ108段の石段を登ると境内地で、伽藍は阿弥陀堂と山門のみ。石段の途中の右手に庫裏がある。
今回は、阿弥陀堂が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、参拝者は自分以外にはいなかった。

境内南端入口全景。寺院だが境内入口には真っ赤な木造両部鳥居が立っている。

鳥居をくぐったところから、108段の石段を見上げる。

参道脇にある石碑。この右手に庫裏がある。

こちらが<庫裏>。御朱印はこちら(書置き)。

さらに石段を登って行く。

石段を登り切ったところにある<山門>。扁額には「大悲閣」の文字。

山門の手前右側にある<水屋>。

水屋の後方にある鎮守社。

山門の左側にある建物。常香炉のある休憩所かな。

<阿弥陀堂>全景。室町時代後期の建立。桁行3間、梁間3間、一重、宝形造、茅葺。

<阿弥陀堂>正面。

<阿弥陀堂>内部。

阿弥陀堂に向かって右手の石仏・石碑群。

阿弥陀堂に向かって左手の石仏・石碑群。

最後に、国重文の<阿弥陀堂>をもう一度。ひと気のない山中で大事に保存されている。(^▽^)/
境内・文化財
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| 名称 | 観音寺 |
|---|---|
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0238-85-3063 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
|---|---|
| ご由緒 | 深山観音堂の創建は大同年間(806~810年)、安親によって開かれたのが始まりとされます。別当寺院である大深山観音寺の創建は長寛二年(1164)、長岡昌勝(宥清)によって開かれたのが始まりとされます。 国指定重要文化財として有名な深山観音堂です。深山観音は、置賜三十三観音中第8番目の札所で、又、八十八ヶ所の48番目の札所でもあります。元来この堂は、阿弥陀堂として建てられたものだが、本尊の千手観音をここに安置してから、観音堂と呼ばれるようになったそうです。 |
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