曹洞宗
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| 名称 | 長松院 |
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| 電話番号 | 0237-54-2371 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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| ご由緒 | 湯沢山長松院は文明3(1471)年に玉叟真通大和尚という高僧が斯波満頼の招請により谷地の定林寺未寺として湯の入地区に開創したといわれています。開山者の法号満相冷月居士に諱の「満」があることから、大久保宝鏡寺と同様に、斯波兼頼の孫、満直の三男大久保満頼の招請により開山したとしています。大正7年書かれた定林寺小史に「当山五世玉叟真通和尚大徳の誉れ高く、長松院殿満相冷月居士の招請に応じ、文明3年湯野沢に長松院を草創す。此長松院殿を谷地の城主白鳥十郎長久に滅ぼされたる熊野三郎なるべしとなす者あり。されど白鳥氏の盛時天正年間は文明以後110余年の後なるに於ては、付会の説たるや明らかなり。案ふに満相冷月とは、最上義光の祖先、斯波兼頼の孫、満直が三男、大久保殿右馬守満頼のことならんか、法号に諱の一字あると、時代の符合するを見れば、或は此の人なるべし。」という記述があります。その後第9世勇順和尚の時代、火災にあい現在地に移転されたといわれています。しかし、満頼の入部は高擶であり、大久保に入部したとしても、それは四男満国が楯岡に入部した応永13(1407)年前後のころでありましょう。長松院の開山は応永13年から65年後の文明3年です。応永13年に大久保に満頼が入部したとなれば10才にもならずの入部となり、その歳で入部したとしても文明3年には75才は過ぎていたと思われ、満頼の長松院開山には疑問があります。当地区にある湯野沢稲荷神社の縁起は湯野沢地区と白岩地区との結びつきを伝えており、文明年間に玉叟真通を招請して長松院を開山した満相冷月居士は定林寺小史で疑問視している熊野三郎満盛(久)か白岩満教である可能性もあります。
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