えんがくじ|真言宗醍醐派|春光山(しゅんこうざん)
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807年坂上田村麻呂の創建と伝わる。
868年円覚法印が再興した。
以降、嘉応年間(1169年~1171年)には藤原基衡が堂宇を再建するなど、豪族や弘前歴代藩主の保護を受けた。
風待ちの港・深浦にあり、海上交通の安全祈願で信仰を集めた。
時化で難破しそうになった船乗りが無事を祈り髷を切って祈りをささげる風習があり、無事に生還した船乗りが奉納した多数の髷額(切り落とした髷を貼り付け絵馬にしたもの)が残されている。
薬師堂内には重文指定されている室町時代初期建造の厨子が安置されている。
本堂(1920年建築)
本堂
本堂
山門(1920年建築)
山門
地蔵堂
庚申堂
鐘石
竜灯杉
宝篋印塔(江戸時代初期)
不動尊
金毘羅堂(1836年建築)
金毘羅堂
稲荷社
稲荷社
イチヨウ
薬師堂(1847年建築)
歴史
春光山円覚寺は、大同二年(西暦807年)征夷大将軍坂上田村麻呂が建立したと伝えられる県内屈指の古刹です。古来から澗口観音として信仰を集めた祈願寺で、嵐の中から生還した船乗りのチョンマゲが多数奉納されていることからも船乗りの信仰の厚さを感じられます。
名称 | 円覚寺 |
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読み方 | えんがくじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0173-74-2029 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.engakuji.jp/ |
SNS |
巡礼の詳細情報
津軽三十三観音霊場 第10番 | 御本尊:十一面観音 御詠歌: ただ頼め 行く末祈る 深浦の 明日の命の ほどは白浪 |
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詳細情報
ご本尊 | 十一面観世音 |
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山号 | 春光山(しゅんこうざん) |
宗旨・宗派 | 真言宗醍醐派 |
創建時代 | 807年(大同2年) |
開山・開基 | 坂上田村麻呂 |
文化財 | 薬師堂内厨子(国の重要文化財)
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ご由緒 | 春光山円覚寺は、大同二年(西暦807年)征夷大将軍坂上田村麻呂が建立したと伝えられる県内屈指の古刹です。古来から澗口観音として信仰を集めた祈願寺で、嵐の中から生還した船乗りのチョンマゲが多数奉納されていることからも船乗りの信仰の厚さを感じられます。 |
Wikipediaからの引用
概要 | 円覚寺(えんがくじ)は、青森県西津軽郡深浦町にある真言宗醍醐派の寺院。山号は春光山。本尊は十一面観音。津軽三十三ヶ所観音霊場の第十番札所である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建について『津軽一統志』には「平城帝の大同2年(807年)征夷大将軍坂上田村麿、観音堂を此地に建立し、厩戸皇子の巧妙作となる十一面観世音菩薩像を安置した」とある。[1] 円覚寺の縁起には「清和天皇の貞観10年(868年)円覚法印は大和国の人にて、泰澄大徳の弟子、浄定の末弟なり。修験道を奉じ諸国の霊山を遍歴し、遂に此地に来り、田村麿創建するところの観音堂を再興し茲に草庵をたてて円覚寺と称す」とある。 平安時代、嘉応年中には鎮守府将軍藤原基衡が堂宇を再建したことが棟札などに記されている。 奉納された懸仏の裏に、「年武運長久 平継久」と墨書がある。 室町時代には、至徳2年(13...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR東日本五能線深浦駅下車徒歩20分 |
引用元情報 | 「円覚寺 (青森県深浦町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%86%86%E8%A6%9A%E5%AF%BA%20%28%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C%E6%B7%B1%E6%B5%A6%E7%94%BA%29&oldid=100970401 |
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