やしまじ|真言宗御室派|南面山(なんめんざん)
屋島寺香川県 潟元駅
7:00~17:00
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楽しみ方
日帰りでしたが八十八所巡りしました。天気が良かったので景色の良いと思う寺院を選びました。
屋島というと源平合戦が有名ですが 私は「島」だと思っていたのです。いやお恥ずかしい。
正式には半島?なんやろ とりあえず島ではありません。
その半島に山があり その山上に屋島寺や水族館や宿泊施設がかたまってあります。
広い駐車場に車を停め 5分も歩かずに朱色が鮮やかな山門に至ります。
境内は広く 本堂・大師堂だけでなく 鑑真が祀られている三体堂 千手観音が祀られている千体堂など目を引く建物がいくつもあります。
駐車場側の山門とは別に 南側に仁王門があります。
さらに中門として四天門があり 増長天・持国天、後に多聞天・広目天の四天王が安置されています。
いったん外に出ると 水族館や展望台があります。お土産屋さんは半分ぐらいしか開いていませんでした。コロナの影響で閉店してしまったのかな。
展望台からは鬼ヶ島が見えました。行ってみたいなぁ。
駐車場から平坦なルートでお参りできると思い 金刀比羅宮で痛めた膝の痛みを我慢しつつお参りしましたが もうここで限界。
まだ参拝できる時刻でしたが 香川を後にすることにしました。
八十八所巡り 残すは4寺院となりました。
山号は南面山 院号は千光院 宗旨宗派は真言宗御室派 寺格は準大本山 ご本尊は十一面千手観世音菩薩 創建年は(伝)天平勝宝6年(754年) 開基は(伝)鑑真です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:梓弓(あずさゆみ)屋島の宮(みや)に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫(もののふ)
でした。
由緒については
律宗の開祖である鑑真が 天平勝宝6年(754年)朝廷に招かれ奈良に向かう途中に当地を訪れて開創し そののち弟子で東大寺戒壇院の恵雲がお堂を建立し屋島寺と称し初代住職になったという。
ここから1 kmほど北の北嶺山上に屋島寺前身とされる千間堂遺跡がある。
その後の時代の古代山城屋嶋城の閉鎖に伴い 南嶺の屋嶋城本部跡地に屋島寺を創設したとされる。
すなわち弘仁6年(815年)嵯峨天皇の勅願を受けた空海は お堂を北嶺から南嶺に移し 千手観音像を安置し本尊とした。
天暦年間(947年 – 957年)明達が四天王像と 現在の本尊となる十一面千手観音坐像を安置した。
とありました。
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。
| 住所 | 香川県高松市屋島東町1808 |
|---|---|
| 行き方 | 屋島駅あるいは琴電屋島駅から屋島山上行きシャトルバス「屋島山上」下車 (0.2km)
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| 名称 | 屋島寺 |
|---|---|
| 読み方 | やしまじ |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 087-841-9418 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| ご本尊 | 十一面千手観世音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 南面山(なんめんざん) |
| 院号 | 千光院(せんこういん) |
| 宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
| 創建時代 | 天平勝宝6年(754年) |
| 開山・開基 | 鑑真 |
| 文化財 | 【重要文化財】本堂、木造千手観音坐像(本尊)、梵鐘 |
| ご由緒 | 屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
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| 体験 |
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