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いまいかねひらのはか(かねひらあん)

今井兼平之墓(兼平庵)
滋賀県 石山駅

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膳所三十三所観音霊場第二十二番(兼平寺)

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soo_cyan
soo_cyan
2026年02月17日(火)4916投稿

ホトカミ登録で悩んでしまうものの一つに「墓」がある。もちろん霊園ではなく歴史上の人物の「単体の墓のみ」の場合である。今回あえて作ってみました。やはり国のため主君のために戦った人物であり、埋もれさせるには惜しいし、なにより「拝む」という対象としては地域の地蔵様とかと変わらないと思いますので・・・。お堂があるか飛地境内なら登録しやすいのですがね・・・😅JR石山駅の北側5分ぐらいのところにその墓はあります。木曽義仲四天王の一人として最後まで主人に尽くした名将であり、自害したとされる粟津の地に膳所藩主本多俊次により塚のみであった場所に墓碑が建立された。次代康将のときに現在地に移設。また、現・曹洞宗国分寺の地にかつて兼平寺があったそうだが現在は所在不明となっています。兼平は信州松本の兼平神社では主祭神として祀られているほどの人物なのでもっと知名度上がってもいいような気もしますが・・・😅
追記:ニッポンの霊場HPで膳所三十三所観音霊場第22番に兼平寺があり、備考欄に「廃寺、現 兼平庵」とありました。兼平庵が寺院もしくは地域のお堂ぐらいの役割を果している可能背卯があり、調査が必要ですね・・・😅

今井兼平之墓(兼平庵)(滋賀県)

案内板

今井兼平之墓(兼平庵)(滋賀県)

兼平庵

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今井兼平之墓(兼平庵)の基本情報

名称今井兼平之墓(兼平庵)
読み方いまいかねひらのはか(かねひらあん)

詳細情報

ご本尊今井兼平公
宗旨・宗派-
創建時代寛文元年(1661)
開山・開基膳所藩主 本多俊次公
ご由緒

今井兼平は、源平争乱で勇名をはせた木曽義仲(源義仲)の乳母子で、寿永3年(1184)1月21日粟津合戦で義仲が討死すると、後を追って自害した。
兼平の墓は、元は山手の「墨黒谷(すぐろだに)」に塚が建てられていたが、寛文元年(1661)膳所藩主 本多俊次が改めて墓石を建立し、寛文7年(1667)に次の膳所藩主 本多康将によって、東海道に近い当地に移された。
敷地の奥に一段高く石柵に囲まれた墓石があり、中央に今井四郎兼平と刻されている。
現地の案内板によると、明治44年(1911)に墓が再改修された。
当時の滋賀県知事 川島純幹、膳所町長 馬杉庄平、兼平の末裔で信州諏訪の人 今井千尋らが発起して、旧跡の規模を拡張し、その参道を改修した。
敷地内には、「右兼平庵、左今井兼平之墓入口」「謡曲兼平案内板」「粟津原合戦史跡顕彰碑」などが建てられている。
平家物語「木曽最期」では、木曽義仲が乳母子の今井兼平とともに死のうとしてあえて敵兵の多い方へ向かい、再会したのち、壮絶な最期を迎える。

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