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兵庫県明石市にある神社です。
最近ミラバルさんが投稿されていました。
山陽電車の線路のすぐ北側にあります。
鳥居もなく こんな所から入っていくの? というような参道でした。
駅の北側じゃないんです。
おそらく後から線路が敷かれ 参道が曲げられたんだと思います。
言い方が悪いですが 雑草が茂り この道であってる?と思いながら進んで行きますと 直角に曲がり そちらに石鳥居がありました。
鳥居を見たらほっとします。
由緒書の石碑があるのですが 漢字だらけで読めませんでした。
古文をしっかり勉強しておくべきだった。(恥)
本殿はコンクリート製で新しいです。
社務所はありますが無人で 御朱印は拝受できませんでした。
本殿前に まるで田んぼの畝のように盛り上がった場所がありました。
境内は建物もなく広いので なぜ?と思っていたのですが どうやらこちらは神事で弓を射るそうです。
本殿横にはコンクリート製の覆屋があり そちらには切り株とお賽銭箱があります。
もしかしたら 御神木だったのかも知れません。
仕方がないことなのかもしれませんが 神社の本殿は木造であってほしいと思ってしまいます。
ネット情報です。
祭神は応神天皇・国常立尊(くにのとこたちのみこと)・気長帯媛尊(おきながたらしひめのみこと)です。
神功皇后(321年-389年)の新羅遠征時に 丹生葛江明神(彌方明神)として祀られた。
平安時代には「山王大権現宮」と言われるようになり 14世紀の南北朝時代に社殿を建立。
明治維新の廃仏毀釈により 「御崎神社」に改称。
祭神の応神天皇(363年-403年)は15代天皇。
国常立尊(西暦元年生)は初代奴国王で西暦57年に後漢に朝貢 「漢委奴国王」金印を受ける。
気長帯媛尊(321年-389年)は神功皇后で 363年に新羅遠征から帰り応神天皇を産んだ。
拝殿前の地面が一直線に盛り上がっているが 「藤江の的射」の神事で5人の射手がここに並び 拝殿を背にして 30m先の的に21本の矢を射る。
山王権現が弓矢で悪霊を退治したという伝説に基づき神事が行われている。

参道

正面石鳥居

由緒書 漢字ばかりで読めません

本殿はコンクリート製です

神事の紹介

手水舎

あれ?ここにもお賽銭箱が

切り株があります 御神木だったのかな

社務所 無人
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