いきさじんじゃ
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但馬国美含郡の式内社「伊伎佐神社 三座」の論社です。第42代文武天皇さまの御代に起きた疫病を鎮めるため、各国に天神地祇を祀る御触れが出され、当地には椋橋連小楢という方によって彦坐王さまを祀って創建されました。また蒙古襲来時に石清水八幡宮から応神天皇さまを、中臣氏の祖である天児屋命さまを勧請して異賊退治の祈祷を行っていた歴史があります。

《鳥居と社号碑》

《由緒書き》
当社は彦坐王さまを勧請して祀ったとされていますが、現在の主祭神は伊弉諾命さまとされており、いつかの時代で交代してしまったようです。

《社務所》
宮司さんのお宅のようです。

《表参道》

《手水舎》
水は流れていませんでした。洗ひつるここも…(略)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
『延喜式』神名帳においては「伊伎佐神社 三座」と記載されており、当社に3柱の神様を祀っているようにも考えられますが、もう一つの説として伊伎佐神社が3社あったというものです。というのも鎮座地の御崎地区には当社を地区の入り口として奥に平内神社と美伊神社があり、そのうち平内神社は当社と同じく伊伎佐神社の論社に挙げられています。

《末社①》
稲荷社と三柱社です。

《末社②》
蛭子社と祖霊社です。

《祭儀庫》

《末社③》


《玉垣》
玉垣には奉納者の名前の上にはその歳を表す祝い歳の名称がついていますが、還暦などよく目にするものの他に「初老」「開院」「平和」などがあります。


《余部鉄橋》
近くにはJR山陰本線がものすごく高い所を通る鉄橋が通っています。この真下に余部集落があり、この集落は山間にある関係で近隣の駅がトンネルによって山を越えた先にあったため、利便性のためこの橋に餘部駅が設置されました。
写真












| 名称 | 伊伎佐神社 |
|---|---|
| 読み方 | いきさじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 電話番号 | 0796-34-0219 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主祭神》 伊弉諾命 《相殿神》 彦坐王 出雲色男命 応神天皇 天児屋根命 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 慶雲四年(707)以降 |
| 創始者 | 椋橋連小楢 |
| ご由緒 | 文武天皇の御代、慶雲4年(707)7月、諸国に悪疫病が流行す。時の天皇は諸国に神祇を祀ることを命じられし時、美含郡大領椋椅連小楢、彦坐王命をここ伊岐佐の丘に勧請したことに創まる。更に天平7年(735)には伊弉諾命を勧請し、主祭神とする。 嘉祥4年(851)正月27日時の神祇官より、「正弐位の上」が授けられ、数少ない延喜式の小社に列し延喜22年(922)春3月には、奉幣の儀あり官社となる。 又、文永7年(1270)夏、異国(蒙古)来襲と聞き、武神男山八幡宮の御分霊、中臣氏の祖天児屋根命を勧請し、異賊退治の祈祷式を行ふなど由緒ある神社である。
|
| 体験 | 祭り伝説 |
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