御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
広告非表示、毎月あなたの幸せと健康をご祈願
100年後も神社お寺を残す応援しませんか?
パーキング
駐車場
-
御朱印について御朱印
-
ありません

金剛閣について

寺社仏閣と見なしてよいのか微妙なところですが、何を礼拝対象としていたのか不明ですが、手水舎があったので富永金吉を祀る霊祠と見なして登録しました。

写真

この神社の写真はまだ投稿されていません

初めての写真を投稿しませんか?

投稿する

金剛閣の基本情報

名称金剛閣
読み方こんごうかく
ホームページhttp://kyouiku.ashi-s.ed.jp/senjin/k_tominaga.html

詳細情報

ご祭神《主》富永金吉
創建時代大正十四年(1925年)
創始者富永金吉
ご由緒

富永金吉は、慶応元年(1865)、久野村大字久保田(現在の久保田町)に生れ、18歳の時、機織の仕事を始めて以来、その後農業・煉瓦工・米屋・瀬戸物商など多くの職業に携わった。
このうち足利周辺で両毛線の線路を敷しく工事で煉瓦を使つかうことから、明治十八年(1885)、煉瓦工場で働くようになり、わずか数ヶ月の間に煉瓦製造方法を修得したといわれている。
その後、職を変かえながら、東京や館林で商売をしていたが、東武鉄道が明治四十年(1907)までに足利までの開通を目指した工事が行われたため、再び煉瓦製造とその建築の仕事が増えてきた。
そのため明治三十五年(1902)、34歳のとき、助戸に煉瓦工場を建て、これにより煉瓦建築も進めた。
大正十年(1921)に足利市会議員に、翌年には栃木県会議員になった。特に市議会議員としては、建築の専門家として、足尾銅山から木造の旧市庁舎を買い受けたり、旧足利郵便局舎の建築に活躍した。また道路拡張にもを尽つくした。
昭和元年(1926)には、足利市商工業合会会頭になる一方で、仕事での利益を学校や消防団などに寄附した。昭和三年(1928)富永奉仕会を作くって社会に貢献した。
【富永公園】
富永金吉が市民の憩いの場として、大正十四年(1925年)に助戸東山の前面の高さ20mの小丘上に、私財を投じて整備した公園。
金剛閣はその展望塔として建設されたものだそうで、平面は縦横4メートル、4層から成っていて高さは10メートル、一番上には◯に金の一字が大きく掲げられている。
またガス灯や見晴館という太陽熱温泉、富永翁の頌徳碑などが建てられたが、いつの頃からか利用されなくなり、現在は遺構を残して藪に埋もれている。

ご利益
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ