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駐車場
あり

あり
神社前にえんの溜池の駐車場

岩倉神社について

朝日森天満宮など佐野の多数の寺社縁起となっており、佐野氏・藤姓足利氏などの家祖でもある、怪力士 藤原家綱公を祀る霊廟

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くし
くし
2025年01月05日(日)
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鞍掛神社付近から、愛宕山という低山をぐるっと回って、今度は山の反対側にある山越という地区に来ました。
加茂別雷神社付近から山の方に入っていくと、谷の一番奥に「えんの溜池」というのがあります。
略してエンタメw📺️🎤✨
で、このエンタメのほとりに、佐野の孫太郎神社や安楽寺などで何度か取り上げた藤原(足利)家綱公を祀る岩倉大権現という霊祠があります。

藤原家綱公は、藤原秀郷公の子孫にして、藤姓足利氏・佐野氏などの家祖。
朝日森天満宮や安楽寺など、佐野の多くの神社仏閣の建立や復興、移転に関わったお方。
「相撲で勝負ニダー!👐」と戦いを挑んできた朝鮮三力士を「アイゴー!💥😵」と打ち負かし、国難を救った天下無双の力士とも云われていますw
しかし身長3mの大巨人とか・・・人間山脈のアンドレ以上だせ😱💦
https://youtu.be/TDiqU3nx6Ns?si=YzospfVlMaqxE6NJ
まぁ北斗の拳のラオウとか男塾の大豪院邪鬼とかが、「闘気のために」ときどき人間離れしてでかく見えるのと同じような理屈なんでしょうwww 💪

上記のような故事のため、当地で相撲巡業があると力士の参拝者も多かったそうです🙏(てか参拝しないと負けるという呪いつきw💧)
そういえば昭和の頃に、ここから程近い多田町出身の亀山さんという力士がいました。
この亀山さん、最高番付は東幕下11枚目とイマイチ振るわなかったのですが、実に22年も力士生活を続けてて、しかも上手かったのか弓取式ではよく見かけて意外に大相撲中継での露出度は高かった。地元出身力士への家綱公のご加護があったのかもしれません🌟

・・・調べてみたところ相撲界には「弓取式を行った力士は関取になれない」というジンクスもあるらしい💧
あぁ・・・効果相殺しちゃったんだな😅(違w)

岩倉神社(栃木県)

えんの溜め池
初めて行きましたが結構キレイなところだった✨

岩倉神社(栃木県)

ヘラブナ釣りの太公望たち
バス釣りとかに比べてヘラブナ釣りはのどかだねぇ😊

岩倉神社(栃木県)

鴨がのんびりと泳ぐ🦆

岩倉神社(栃木県)

田沼市街地の方の眺め
向こうの山は上杉謙信が佐野宗綱の偽計に騙されて陣を張ったという高鳥屋山

岩倉神社(栃木県)

溜め池周辺は「えんの溜ふれあいの里」という公園になってます

岩倉神社(栃木県)

梅がいい感じに咲いてました🌸

岩倉神社(栃木県)

ヒィ!!( ; ロ)°°
山にある水場の例にもれず、ここも一部ではローカルな心霊スポット視されてるそうで(^^;

岩倉神社(栃木県)

池の西側に駐車場とトイレ

岩倉神社(栃木県)

駐車場の脇に岩倉大権現への参道

岩倉神社(栃木県)

まだ3月中旬だったので、岩倉桜はたぶん河津桜だと思います

岩倉神社(栃木県)

岩倉神社
佐野の数多の寺社を創建・修築された家綱公ですが、御本人の社はいたって質素

岩倉神社(栃木県)

真ん中が家綱公を祀る莉権頭家綱霊社

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名称岩倉神社
読み方いわくらじんじゃ
通称岩倉大権現

詳細情報

ご祭神《主》莉権頭家綱霊社・岩倉宮・山神社・地蔵菩薩・その他
ご神体石祠
創建時代天承元年(1131年)
創始者大沢一族
ご由緒

岩倉大権現は、藤原秀郷八代の孫 従四位上足利又太郎壹岐守藤原家綱を祭り、次のように伝承されている。
家綱は身長が三メートルもある大巨人で、日本無双の大力を持ち文武の道に秀でた武将であった。
父成行の後を次いで足利城主となってから、民部大輔という役に任ぜられ、よく忠勤に励んだので朝廷よりの信頼が厚くなり、一族の勢力は次第に広まってきた。
ところが同格の者がねたみ、讒言したので、領地を没収され九州大宰府へ流されてしまった。
配所にあること三年余り、天満宮に無実の罪が早く晴れて帰れるよう一心になって祈願したその甲斐があって満願の日に霊験が現れた。 勅使が来て「無実の罪は晴れた、急いで同行せよ。都では今お前の力を必要としている」と申された。
喜び勇んで都へ上った家綱を待っていたのは、朝鮮の使者が連れてきた三人の力士と相撲を取ることであった。使者からはこの相撲で日本側が負けたら、今後日本から朝鮮へ貢物を納めてもらいたいと申し入れられ、負ければ日本国末代までの恥、負けられない勝負である。
勝負の場所は京都三條柳の馬場が選ばれた。公卿、諸大名など大勢の観衆の中を、新しく造られた土俵中央に出た家綱は、蛇慢、我慢、岩幕三人の朝鮮の力士を一緒に対手にして、大力に物をいわせて一瞬の間に打ち負かしてしまった。
時は元永二年(1119)のことである。面目をほどこした家綱は、恩賞を受けて晴れて故郷足利へ帰り、廟を建てて天満宮を祭り、また保安二年(1121)三月二十二日には、佐野庄山越村明菊山の鎮守加茂別雷大明神に天満宮を合祀し熱心に崇拝した。
家督を子俊綱に譲ってから佐野庄能忍地村(田沼町田沼総合グランドの辺り)に館建てて住み、天承元年(1131)十二月二十三日永眠された。御遺言により明菊山加茂別雷大明神の傍らの岩窟に葬り、廟を築き、岩倉大権現と称した。 家綱は死後もこの地に在って、加茂別雷大明神の祭神と共に近在の守護とその発展を悲願としていたのである。
付近一帯には、秋に雷電菊が美しい花を開き境内には金明水の池を称する水のかれることのない泉があって、ここから流れ出る水は山越以南の水田を潤していた。また、この水は酒造用としても珍重された。
この地方では相撲興行がある時、岩倉大権現に参拝しないと負けると言われていて、力士の参拝者が多かったとも伝えられている。
家綱は子が多く、俊綱、有綱、郷綱、成次、成実、高綱等は知勇の優れた武将となって、それぞれ各地で活躍した。
大沢一族の祖は、家綱に仕えてよく忠節を尽くし、子孫は代々明菊山麓に住み祖先の遺志を継いで家綱の廟墓を守り、地域の開発と振興に貢献し反映してきた。
十数年前から開発の波に乗った採石業のために、加茂別雷神社は移転のやむなきに至り岩倉大権現の石祠も参道などにあった石仏と共に下ろされ、大沢一族の手によって役の溜の西山麓に手厚く祭られている。
(神社案内板より)

体験武将・サムライ花の名所有名人のお墓伝説

Wikipediaからの引用

概要
足利 家綱(あしかが いえつな)は、平安時代末期の武将。通称は足利壱岐守、孫太郎。鎮守府将軍・藤原秀郷を祖とする藤姓足利氏の3代当主。 怪力士家綱の伝承や、朝日森天満宮、安楽寺、孫太郎神社など、数多くの神社仏閣の建立や復興、移転に関わったことも伝えられている。
引用元情報足利家綱」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%AE%B6%E7%B6%B1&oldid=103172263
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