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ふじみやじんじゃ

藤宮神社
栃木県 吉水駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
あり

なし 神社前に数台駐車可能

藤宮神社について

野木宮合戦にて志田義広に与し敗れ、源頼朝に送られた足利俊綱の首を、忠臣が奪還し当地に葬ったと伝わる

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くし
くし
2023年06月06日(火)1703投稿

次は呼ばれた系・・・ではなく狙って行きました(^^;
足利や佐野から田沼方面に向かう時に、この神社前をよく通るので1度くらいは拝んでみたいと思ってました。
今回、この近隣を探索したので良い機会なので寄ってみることに。

よくある田舎の鎮守様だろうと思ってたのですが、縁起を調べてみたらこれが意外に興味深い神社だったΣ(; ゚Д゚)
まず祭神は藤姓足利氏 初代当主の足利成行。藤宮とは藤原氏のお宮という意味らしい。
そしてなんとここは藤姓足利氏 四代目当主の藤原俊綱の墓所にして首塚とのこと!Σ( ̄□ ̄;)

足利俊綱公は、少し前に行った佐野・足利・桐生の境界付近の山奥にある、皆沢八幡宮に祀られてる足利忠綱公の父上。
俊綱・忠綱親子は、常陸の志田義広に与し、源頼朝に対して蜂起するも野木宮合戦で敗北。
忠綱公は上野から山陰道を通り西海に落ち延び消息不明に。
(足利に伝わる伝承では、後に密かに足利荘に戻るも源姓足利氏の義兼に討たれてしまう)

一方、俊綱公は頼朝から追討を受けますが、追討軍が到着する前に家老の桐生六郎の裏切りにあい討たれてしまいます。
(ちなみに桐生六郎は、頼朝に俊綱公の首を差し出すも「主君を討つとは何事か!」と逆に難癖付けられやはり処刑されてしまう ザマァw)
この神社は、俊綱公の終焉の地でもあり、後に石塚牛兵衛という忠臣が頼朝から密かに首を奪還し葬ったところと伝わってるそうです。

何でもない村の鎮守様かと思ってたら、深く壮大な伝承が伝わってて本当に驚きました! こりゃ本当に何かの因縁で呼ばれたのかもしれんな・・・(゜゜;)

藤宮神社(栃木県)

道路に面して石造りの神明鳥居が立ってます

藤宮神社(栃木県)

少し右の方に間延びしたお社

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藤宮神社の基本情報

名称藤宮神社
読み方ふじみやじんじゃ

詳細情報

ご祭神足利(藤原)成行
創建時代1181年(養和元年)
ご由緒

養和元年(1181)藤原俊綱の墓所として創建。
正徳四年(1714) 天明四年(1784) 安政五年(1858)に改修。

足利俊綱、忠綱親子は、野木宮合戦にて志田義広に与し敗れる。
忠綱は平家が残る西海へ逃れ、俊綱は赤見城から桐生城へ落ち延びるが、家老の桐生六郎の裏切りで赤見城に戻った後、当地で討たれたと伝わる。
俊綱の首は鎌倉の源頼朝のもとに運ばれるが、忠臣 石塚牛兵衛が密かに首を持ち出し、この地に埋葬し霊を弔ったと云われている。
神社から数百mほど北東にあるトトコチ山古墳がその首塚と伝わる。

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