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都心のビル街にある平将門公の御靈がお祀りされる鎮魂の場です。

徳治二年(1307)一遍上人の弟子で、時宗第二祖となる他阿眞教上人が、将門の怨靈に怯える付近の村人のために、『蓮阿彌陀佛』の法名を授け、荒れ果てていた首塚の上に板碑を建立供養して、その靈を鎭め、かたわらの天台宗日輪寺という寺を時宗の芝崎道場に改宗したのが始まりと伝わります。

江戸時代に寺は浅草に移されますが、塚はそのまま残されたようです。板碑の南無阿弥陀佛の文字は他阿眞教上人の直筆ですが、板碑は何度か建て直されていて、その都度、日輪寺の碑から拓本が取られて、文字が写されるそうです。

天慶2年(939)、平将門は自らを新皇と称して反乱を起こしたが、翌年2月14日に藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された。
その首級は京都で晒されたのだが、突如として夜空へ舞い上がり、故郷へ向けて飛び去ったという。そして、その首級が落ちた場所とされるのが東京都千代田区大手町にある将門塚である。
一方、将門に縁のある者が京都で晒された首級を持ち帰り葬ったとも伝えられている。
徳治2年(1307)、遊行二祖他阿弥陀仏真教上人が荒れ果てた首塚を整備し、将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈り、首塚に自らが揮毫した板碑を建立して日輪寺で供養が行われた。
延慶2年(1309)にはその霊が神田明神に奉祀された。
江戸幕府成立後、日輪寺は浅草へ、神田明神は駿河台へ移転し、首塚だけが当地に残された。
毎年9月の彼岸に「将門塚例祭」が執り行われ、5月の神田祭では鳳輦(ほうれん)・神輿が渡御する。
写真












将門塚の情報
| 住所 | 東京都千代田区大手町1丁目2−1外 |
|---|---|
| 行き方 | 地下鉄丸の内線、東西線、半蔵門線、都営三田線大手町駅下車、C5出口より徒歩すぐ |
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