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兵庫県西脇市黒田庄黒田
黒田官兵衛の生誕地は姫路と言われていますが、ここ西脇市が生誕地という説もあります。
どちらが正解なのか私には判りませんが、境内にあった案内板に記載されていた内容を以下にそのまま記載させていただきます。
(以下の10枚目の写真の記載内容)
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「黒田官兵衛の里 黒田」
西脇市黒田庄黒田は、黒田氏発祥・官兵衛誕生の伝承地です。
通説では、黒田氏の発祥は、近江の国伊香郡黒田村(現在の滋賀県長浜市)とされていますが、江戸時代に編纂された播磨の地誌類には黒田官兵衛やその祖先は、ここで生まれたとするものが多くあります。
そのひとつ、播磨における黒田氏の調査や伝承をまとめた記録書の「播磨古事」では、姫路で発見された黒田職隆(もとたか・通説では官兵衛の父)の廟所建設に訪れていた福岡藩黒田家の普請奉行・山口武乕(たけとら)が、播磨時代の黒田家の菩提寺であった心光寺の古記録に「黒田家の出自は多可郡黒田村」とあるのを見つけ、確認のため、小寺家菩提寺心光寺和尚入誉と黒田家家臣中村平一が派遣され天明4(1784)年に当地を訪れ、記録した絵図と地元の古老から聞き取った話が記されています。
「播磨古事」に記された内容は、当地の古刹・荘厳寺で所蔵する「荘厳寺本黒田家略系図」とも一致しています。 この略系図は、播磨守護・赤松円心の弟・円光を始祖とし、その息子・七郎重光が丹波との国境である黒田城に観応2(1351)年移り住み、9代治隆まで居城しましたが、近隣との戦いに敗れ、元亀3(1573)年に落城したと記されています。 最後の城主・治隆の弟、8代重隆の次男が官兵衛とされています。
この山は、昔から「城山」と呼ばれており、黒田城があった場所と伝わっています。
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荘厳寺はこの清綱稲荷からすぐ近くにあり、もちろんお参りさせていただきました。
黒田家略系図も拝見させていただきましたので、後日投稿させていただきます。
この清綱稲荷ですが、入口はとてもひっそりしていて、最初からここを目的地として訪れないと気付かないレベルです。
大河ドラマをやっていたときはそれなりに訪れる人が多かったのかもしれませんね。
小川を渡る細い橋が架かっており、その先に鳥居が見えています
一番最初の石鳥居脇に立てられた案内板。
ここから左方向に進むと「姥が懐」になります。
「姥が懐」の説明はまた後程・・・
社殿を目指して階段を上ります
階段を上りきるとさらに赤鳥居。
その先にはまだ社殿は見えず。
途中、道が途切れつつも先に見える赤鳥居を目指します。
ようやく拝殿に到着
本殿
かんべえくん
黒田城跡
「黒田官兵衛の里 黒田」の説明
黒田庄を一望
のどかですね~
拝殿を通り過ぎた先にも赤鳥居がありましたが、これ以上進むのは遠慮しました
ここが「姥が懐」です。
黒田城主屋敷跡になります。
黒田官兵衛はこの地で生まれたとのこと。
「姥が懐」とは、この辺りの田畑の字名だそうです。
奥には水たまりというか、小さな池がありました。
「黒田官兵衛生誕の里」碑
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