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鐘塚稲荷神社について

鐘塚稲荷神社の創建年代等は不詳、周辺に家が多く建つようになったのが明治時代以降なので、明治期の創建ではないかとも、また文化3年(1806)の『中山道分間延絵図』に当社と思われる稲荷が描かれていることから、江戸時代末期には祀られてきたのではないかとも考えられ、箭弓稲荷神社の勧請とされています。当地「字鐘塚」は、戦国時代に「旭坊」の鐘供出を命じられた僧侶がこれを拒み、鐘を埋めてしまったことから字名となったと伝えられています。

鐘塚稲荷神社の基本情報

住所

埼玉県さいたま市大宮区桜木町2丁目181

行き方

大宮駅徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

鐘塚稲荷神社

読み方

かねづかいなりじんじゃ

通称

箭弓稲荷神社

御朱印あり
限定御朱印なし
ホームページhttp://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/9121/

詳細情報

ご祭神ウカノミタマ
ご由緒

稲荷神社<大宮市桜木町二-一八一(大宮字鐘塚)>
JR大宮駅西口に隣接する当地は、かつての大宮宿七組の一つ甚之丞新田の内、字鐘塚と呼ばれた地域である。鐘塚の地名の由来は、当地の北側で、現在旭町と呼ばれる辺りにあったとされる旭坊という坊舎の鐘が、戦国時代に供出を命じられた。しかし、旭坊ではこれを拒んで、鐘に穴をあけて埋めてしまった。その場所が鐘塚と呼ばれたという。今はソニックシティ前の鐘塚公園に唯一その名を留める。
当社の創建についての資料はないが、氏子の中では、東松山市の箭弓稲荷神社の講(大宮講)が古くから続いているので、同社から分祀したのではないかといわれている。よって、創建についても、この辺りに家が多く建つようになった明治以降ではないかといわれている。 しかし、文化三年(一八〇六)の『中山道分間延絵図』には、大宮宿の西側で、川越道(現大宮岩槻線)の南側の林の中に、「稲荷」の文字と鳥居が描かれており、位置関係から見ても、これが往時の当社の姿と思われる。ただし、甚之丞新田が開発されるのが寛永五年(一六二八)であるが、鐘塚の伝説などを勘案すると、当社が伝説の鐘塚の跡に建てられた可能性もあり、開発よりも古い創建とも考えられる。(「埼玉の神社」より)

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