わかみやはちまんじんじゃ
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膳所五社最終。16時周っていたからなのかすでに社務所は閉まってました😔境内はやや広めで摂末社も多い。本殿前拝所がありお詣り後末社をお詣りしてたら金比羅社から本殿前に入る参道があり、拝所からはお詣りしにくい三社殿や稲荷社も確認できました🤗各社お詣りして参りました😊

新羅神社社号標と鳥居

由緒

鳥居。中門は膳所城からの移築

扁額

手水舎

拝殿

社務所

本殿前

新羅社

同扁額

金比羅社

同扁額

大神宮前拝所

本殿前拝所

鳩

はと

ハトいっぱい🤗


三社殿

天満宮、多賀社、白山社

稲荷社

大神宮

本殿前阿

吽

本殿

本殿

神庫

神饌所かな?
境内・文化財
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社伝によると、白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の御神託により、この粟津に行幸になったところ、紫の雲がたち、金色の鳩が飛来して、粟津の森の大木に止った。
その処に当社の造営を勅諚され、仁徳天皇の御木像を御下賜になった。
次いでこの浦(湖辺)上下八町の間、殺生を禁じられた。漁夫等は、これを恐れて特別の浦、別浦と云い、後に別保と呼び、現在も地名として残っている。
翌年、当社に於て「放生会」が行なわれ以来毎年斎行されている。当社の竣工は、勅諚から四年後の白鳳八年で、九州の宇美八幡、宇佐八幡に次ぐ古い八幡宮であり、当初は粟津の森八幡宮、後に若宮八幡宮、更に後に、若宮八幡神社となった。
当社は、延喜十七年、落雷のため全焼、更に寿永三年、木曽義仲の粟津の合戦で全焼したが、建仁二年(1202)、源頼朝が上洛の時、当社を再興し、翌年社殿を再建した(建仁二年にすでに頼朝はなくなっている。頼朝の上洛は建久元年(1190)・六年(1195)なのでどちらかか?)。
又当社を、歴代の膳所城主が崇敬し、社領寄進の記録がある。
千三百年の間、毎年行なわれて来た、放生会祭には、近年では、琵琶湖に蜆流しと、人形流しの厄除祭を斎行している。
当社には、現在も宮座が残っており、毎年元旦、例祭、放生会祭、の当日四季の花をさしそえた、御供を、本殿をはじめ、境内の皇大神宮他摂社、末社にお供えしている。
明治十四年村社に、昭和五年郷社に加列。
ー滋賀県神社庁HP-
| 名称 | 若宮八幡神社 |
|---|---|
| 読み方 | わかみやはちまんじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 〔主祭神〕仁徳天皇 〔配祀神〕應神天皇 武内宿弥 |
|---|---|
| 創建時代 | 白鳳四年 |
| 創始者 | 天武天皇 |
| 本殿 | 三間社流造 間口三間 奥行二間 |
| ご由緒 | 社伝によると、白鳳四年、天武天皇が宇佐八幡の御神託により、この粟津に行幸になったところ、紫の雲がたち、金色の鳩が飛来して、粟津の森の大木に止った。
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