なかしまじんじゃ
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こちらの神社の由緒は倭姫命(やまとひめのみこと)の皇大神宮巡幸の伝承まで遡る。
倭姫命は第11代 垂仁天皇の第4皇女で、日本武尊(やまとたけるのみこと)の叔母にあたるとされる。
天照大御神の御杖代(みつえしろ)として、現在の伊勢に皇大神宮をご創建された。
第10代 崇神天皇の頃、国内において様々な疫病や災害が次々と起こり、天皇は天照大御神様の御霊と同居されているためとお考えになった。
皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大御神の御霊を奉じる別の場所を探すように命ぜられた。
豊鍬入姫命は、姪の倭姫命に「私は年を取り過ぎたので、代わって貴女がこの大任を果たして下さい」と託された。
倭姫命は、大和国をお発ちになられ、伊賀、近江、美濃、尾張中島と巡幸を続けられ、最後に御神慮によって、現在の伊勢の土地に天照大御神様をお祀りされた。
これが皇大神宮御創建の始まりで、代々の天皇は、未婚の皇女を伊勢の神宮に遣わされ、皇女は斎王(斎宮)になられた。
この慣例は室町時代まで約600年続いた。
倭姫命が、皇大神宮を創建するまでに天照大御神の御神体である、「八咫鏡」を順次祀っていった場所を「元伊勢」と呼ぶが、その元伊勢とされる地としては、一宮から清洲にかけて複数の「尾張中島宮」が存在する。
ここはそのひとつとされる神明社である。
一宮市北方町の大通り沿いに大きくかなり目立つ石碑が見える。
その少し先に村社「神明社」がある。
石碑に刻まれているのは
「聖蹟 日本武尊 倭姫命 古代 中島宮跡」
とある。
少し小さめな境内に入ると、コンクリート造りの拝殿が見える。
本殿は木造だが、近代になって建て替えられたことを物語っている。
近くに北方代官所があるが、以前はその敷地にあったようだ。
新しい堤防が作られることになったことにより、現在の位置にご遷座されることになった。
大通り沿いでとても目立つ位置に建っており、通る人の目を引く。
社標
鳥居
参道を少し進むと神社が見えてくる。
手水舎
拝殿
狛犬
特徴のある表情をしている。
本殿
末社へ続く鳥居
末社群
稲荷神社 秋葉神社 熱田神宮 伊勢神宮 金刀比羅社 津島神社
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