御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年11月
福長神社ではいただけません
広告
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年07月10日(水)
1973投稿

京都市上京区にある神社です。
御所から西の方に歩いて3分ほどの場所に鎮座されています。
町の方が管理されているようでした。
拝殿の奥に本殿があるのですが そこまでは行けませんでした。
御朱印も書置きのものがあるようですが お参りした際にはありませんでした。
主祭神は3柱あり 福井神・綱長井神・稲荷神です。
社名の「福長」は 福井神・綱長井神の神名によるそうです。
これら2柱は 『延喜式』神名帳において平安京大内裏の神祇官西院に祀られたと見える「座摩巫祭神 五座」のうちの2座に相当し 両神はいずれも井戸の神で 元は宮中の井戸を守護する神であったとされます。

由緒については
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では 宮中の「神祇官西院坐御巫等祭神」のうちで生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神について「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」と記されており 5柱は式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭において幣帛に預かっていた。
これら5柱は 貞観元年(859年)にも無位から従四位上に神階の昇叙を受けている。
社伝では 天正年間(1573年-1592年)の豊臣秀吉による聚楽第造営または廃城の際に現在地に遷座したという。
とありました。

福長神社(京都府)

外から見た様子

福長神社(京都府)

由緒書

福長神社(京都府)

本殿と拝所

福長神社(京都府)

手水舎

福長神社(京都府)

本殿

福長神社(京都府)

すぐ近くに地蔵尊

もっと読む
投稿をもっと見る(10件)

歴史

本社は福井神、綱長井神、稲荷神を祭神として祀る。社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから「福長稲荷」とも呼ばれた。

福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院(現在の大宮竹屋通辺)に祀られていた延喜式内社、宮中神の座摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座である。

現在の地に遷された経緯については、社伝によると天正年間、豊臣秀吉の聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、天正二年(一五七四)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中外図屏風(狩野永徳筆)には、すでに現在地に福長神社が描かれている。

天明の大火(一七八八)で焼失した後は小さな祠となったが、明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。

歴史をもっと見る|
2

福長神社の基本情報

住所京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町
行き方

京都市バス「烏丸今出川」下車、徒歩5分

地下鉄「今出川」下車、徒歩2分

アクセスを詳しく見る
名称福長神社
読み方ふくながじんじゃ
通称福長稲荷
参拝時間

24時間参拝可能

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神福井神,綱長井神,稲荷神
創建時代不詳
本殿拝殿は桟瓦葺・平入切妻造の正面に妻入切妻造の 庇が付いたもの。本殿は銅板葺の一間社流見世棚造
ご由緒

本社は福井神、綱長井神、稲荷神を祭神として祀る。社名は、福井、綱長井の二神を合祀することによるが、稲荷神も合祀することから「福長稲荷」とも呼ばれた。

福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院(現在の大宮竹屋通辺)に祀られていた延喜式内社、宮中神の座摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座である。

現在の地に遷された経緯については、社伝によると天正年間、豊臣秀吉の聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられるが、天正二年(一五七四)に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる洛中外図屏風(狩野永徳筆)には、すでに現在地に福長神社が描かれている。

天明の大火(一七八八)で焼失した後は小さな祠となったが、明治時代以降も水の神(屋敷内の井戸や泉の神)として地元の人々から篤く信仰されている。

体験おみくじ御朱印伝説

Wikipediaからの引用

概要
福長神社(ふくながじんじゃ)は、京都府京都市上京区福長町にある神社。式内社(大社2座)。別称として「福長稲荷」とも。
歴史
歴史[編集] 概史[編集] 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、宮中の「神祇官西院坐御巫等祭神」のうちで生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神について「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」と記されており、5柱は式内大社に列するとともに月次祭・新嘗祭において幣帛に預かっていた[1]。これら5柱は、貞観元年(859年)にも無位から従四位上に神階の昇叙を受けている[2]。 社伝では、天正年間(1573年-1592年)の豊臣秀吉による聚楽第造営または廃城の際に現在地に遷座したという[3]。ただし、天正2年(1574年)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされる「洛中洛外図屏風」では、すで...Wikipediaで続きを読む
引用元情報福長神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A6%8F%E9%95%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=65461986
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ