ふじしまじんじゃ
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楽しみ方藤島神社(贈正一位新田義貞公之大宮)のお参りの記録一覧
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毛谷黒龍神社から徒歩でも行けましたが、、又毛谷山を上る形になります。先程とは違い道みたい。駐車場に停めてから、下に続く石段参道があるのに気付きます。足羽山中腹に鎮座しているため、神社入口から石段を上る参道があるようですが、車で駐車場に直接来たため参道入り口は見ていません。建武中興十五社の一社で、南北朝時代の武将・新田義貞公(新田大明神)を主祭神とし、義貞の嫡男の新田義顕・新田義興(義貞第二子)・新田義宗(義貞第三子)、弟の脇屋義助(義貞弟)、および一族の将兵を配祀しています。元は新田義貞の兜鉢(異説有)が発掘され、後に祠を建て新田塚と呼ばれる地に鎮座していました。新田義貞は関東では身近な?存在ですが、福井で出逢うとは少々驚きでしたが、終焉の地は福井だったようです。
足羽山周辺をぐるぐる廻ってしまい方向感覚が判らなくなってしまい、いくつかの神社の位置関係が頭で整理できませんでした。社務所に伺うと留守のようでしたが、連絡するとすぐに来てくださりご丁寧な御朱印を戴きました。




藤島神社は福井市に鎮座する神社です。
参拝した時はお宮参りの祈祷中でしばらく待ちましたが可愛い赤ちゃんも見れたので問題なし(笑)
御祭神は新田義貞公
以下、藤島神社HPより
後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと二度目の計画をされた「元弘の変」(1331)の後、元弘3年(1333)密かに朝廷より大塔宮護良親王を通じて「綸旨」(天皇の命令書)を受けて、5月8日に地元の生品神社で一族とともに旗揚げされました。しかしその数は僅か150騎。鎌倉への街道を進んでいる間に、近隣の源氏同族や北條氏に反旗を翻す勢力、また足利勢力の合流があり、最後は20万騎に及んだと『太平記』には記されています。
明治初年、この新田義貞公の忠誠に対し神として祀る運動が起こり、明治9年11月「別格官幣社藤島神社」が御創建されました。
その後、変遷がありまして同14年同郡牧ノ島に社殿を移しましたがここもまた水害が甚だしいため同34年5月、足羽山の現在地へ奉遷されたのが今の藤島神社であります。




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