ふなもりじんじゃ
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西教寺さんの近隣です。船守神社さんです。淡輪は、昔、紀氏の領地でしたので、御祭神は、桓武天皇に仕えた紀船守公、雄略天皇に仕えた紀小弓宿公、十一代垂仁天皇の皇子五十瓊敷入彦命です。911年、60代醍醐天皇の勅命により創建の歴史のある神社さんです。又、淡輪には、五十瓊敷入彦命の伝承墓があります。
御本殿
鳥居
ご案内
鳥居 御本殿
歴史
紀船守は紀雄人の子で、授刀舎人(たちはきとねり)であった。恵美押勝の乱(天平宝字八年(764年))の際、押勝を射殺したとして勲功があったと言う。
紀朝臣の祖は武内宿禰と言うことになっているが、宿禰の子の紀角禰は紀ノ角と称し、紀氏の祖となっている。
『日本書紀』ではいわゆる河内王朝の頃に紀氏が半島攻略の海軍面での活躍が記されている。
伝承は紀氏の水軍が古代に活躍したことを物語るのであり、それにつながる紀船守もおそらくは水軍戦に得意だったのであろう。
この泉州に紀小弓宿禰は葬られたと言う。紀氏の拠点は紀の国であるが、日根郡はそれに接しており、紀氏が移住していたようである。 紀小弓宿禰から紀船守までは約300年、この地田身輪の産土神として祀られ続けたのであろう。
名称 | 船守神社 |
---|---|
読み方 | ふなもりじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 紀船守 紀小弓宿禰 五十瓊敷入彦命 |
---|---|
ご由緒 | 紀船守は紀雄人の子で、授刀舎人(たちはきとねり)であった。恵美押勝の乱(天平宝字八年(764年))の際、押勝を射殺したとして勲功があったと言う。
『日本書紀』ではいわゆる河内王朝の頃に紀氏が半島攻略の海軍面での活躍が記されている。 伝承は紀氏の水軍が古代に活躍したことを物語るのであり、それにつながる紀船守もおそらくは水軍戦に得意だったのであろう。 この泉州に紀小弓宿禰は葬られたと言う。紀氏の拠点は紀の国であるが、日根郡はそれに接しており、紀氏が移住していたようである。 紀小弓宿禰から紀船守までは約300年、この地田身輪の産土神として祀られ続けたのであろう。 |
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