れいこうでん てんまんぐう
霊光殿天満宮京都府 今出川駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
京都市上京区にある神社です。福長神社から少し西に鎮座されています。
主祭神は菅原道真・徳川家康です。
正面の石鳥居などが立派な神社で 鳥居の奥に門まであります。
境内に入ってすぐ左手に社務所があり 授与品などがありましたのでベルを押してみたのですが 誰もお出にならず 御朱印含め諦めました。
拝殿も本殿もとてもきれいに整えられ しっかり管理がされていることが分かります。
大きくなくても由緒のある 町の方に愛される神社は 雰囲気で分かりますね。
周りが住宅街なのだけが残念でした。
由緒については
寛仁2年(1018年) 菅原道真の6代後の子孫にあたる菅原義郷が勅命により かつて道真の領地であったとされる河内国若江郡に神殿を建てたのが始まりである。
社名は 道真の左遷の際 天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるものである。
蒙古襲来の時には 後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたところ 元の船がことごとく沈んでしまったので『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。
応仁の乱の際に社領を失い 東寺境内に遷された。
徳川家康は当社を深く崇敬し 元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をし また 若江家の再興に尽力した。
家康の死後の寛永13年(1636年) 徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し 祭神とした。
江戸時代に社家の若江家が再興され 塔之段に社殿を再建 宝暦11年(1761年)に現在地に鎮座した。
現在の社殿は 明治5年に近衛家の旧鎮守社を移築したものである。
とありました。
正面石鳥居
石柱
新しいかな
拝殿
拝所と本殿
摂社 稲荷大神
1018年(寛仁2)菅原道真6世の孫、菅原定義が、九州配流の途中の道真が立ち寄った河内国若江の旧跡地に、創始したのが始まりと伝える。その後、道真左遷の時に、天から一条の光が下ったという当地に移され、そのことから霊光殿と称するようになった。若江家が代々の祠官として奉仕したが、応仁の乱で東寺に御神体を移した。江戸時代になって絶えていた若江家が再興されると塔之段の若江家に再遷、さらに1761年(宝暦11)現在地に移転した。徳川家康が若江家再興に尽力したことから、1636年(寛永13)当社に合祀されている。
住所 | 京都府京都市上京区新町通今出川下ル徳大寺殿町 |
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行き方 | 地下鉄烏丸線「今出川」駅下車、徒歩5分
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名称 | 霊光殿天満宮 |
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読み方 | れいこうでん てんまんぐう |
通称 | 天下無敵の神社 |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 075-431-4763 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 菅原道真、徳川家康 |
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創建時代 | 1018年(寛仁2年) |
創始者 | 菅原定義卿 |
ご由緒 | 1018年(寛仁2)菅原道真6世の孫、菅原定義が、九州配流の途中の道真が立ち寄った河内国若江の旧跡地に、創始したのが始まりと伝える。その後、道真左遷の時に、天から一条の光が下ったという当地に移され、そのことから霊光殿と称するようになった。若江家が代々の祠官として奉仕したが、応仁の乱で東寺に御神体を移した。江戸時代になって絶えていた若江家が再興されると塔之段の若江家に再遷、さらに1761年(宝暦11)現在地に移転した。徳川家康が若江家再興に尽力したことから、1636年(寛永13)当社に合祀されている。 |
体験 | 御朱印お守り武将・サムライ |
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