とよかわいなりとうきょうべついん|曹洞宗|圓福山
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豊川稲荷東京別院のお参りの記録一覧
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駐車場はいつもの場所が空いていて停めさせていただきました🚗
こちらはスズメがたくさんいました🕊️
弁天さまでお金を洗ったり、叶稲荷にはお礼を、融通稲荷さまではたくさんお金が周りますように🙏🏼
奥の院でもお願いを😆
先月奉納させていただいた前掛けは子授霊孤さまにありました!
毎月ちゃんと見つけられて嬉しい☺️
今月も奉納してきました👕
おみくじを引いたらこれより悪いのはないんじゃないかっていうくらいの凶😱
最悪の状態で何も叶わないし酷いと命に関わると…ひぇー🤯
確かにここのところ肺炎になったり突発性難聴になったり車の点検出して傷つけられたりボロボロの状態😭
おみくじはお返しして大黒さま回ったりしてもう一回おみくじを引いたらまたまた凶😱😱
さっきより内容は良くなってるけどやっぱり今はどん底っぽいですね⤵️
お祓いに行ったほうがいいのかな?




豊川稲荷東京別院(とよかわいなりとうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院である。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)である。大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする。大岡家では、三河時代より豊川稲荷を信仰していたといい、越前守の時に、江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して祀ったといわれる。その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。
江戸では稲荷信仰が盛んであったため、大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、一般庶民の稲荷への参拝を許していたという。その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の創建とされる。江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。明治9年(1876年)、東京府は、私有地で祀られる社堂への、無許可での一般参拝を禁止する布達を出した。これにより東京参詣所も一般参拝ができなくなり、大岡邸の吒枳尼天の分霊は、豊川の妙厳寺本院へ還された。2年後、府から許可が下り、一般参拝が再開された。明治20年(1887年)、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新・増築も困難であることなどから、現在地(元赤坂一丁目)に移転した。
少し前まで勘違いしていた。てっきり稲荷神社だと思っていたのだ。なんと!曹洞宗の寺院とな。そういえば、稲荷神社の狐とは少し顔が違う。
この豊川稲荷を江戸に分院したのは、徳川吉宗の時代の名奉行、大岡越前だったのか。赤坂不動尊威徳寺は、徳川吉宗の時代に徳川家の信仰の場所になっているし、赤坂という場所は、徳川吉宗の時代に発展したのかなとも思える。
中は、賑やかそのものだった。活気あふれ嬉しい限り。その為、だいぶ写真が撮れなかった。他人が写ったものは公開してはいけないというのがマイルールだ。沢山の参拝者に揉まれて、あたふたと順路を急いだ。という感じだった。先日、行った神田の街の稲荷信仰も合わせ、江戸の稲荷信仰を想うのであった。
御朱印記帳を待つ時間に、参道にある店で、きつねうどんを。700円なりい。このくらいの値段が私には分相応なのだ。赤坂周辺のオシャレな店は合わない。いなり寿司は夜に自宅でとテイクアウト。
楽しいひと時であった。お独り様。万歳。
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