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とよかわいなりとうきょうべついん|曹洞宗圓福山

豊川稲荷東京別院のお参りの記録一覧
東京都 赤坂見附駅

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かおり
かおり
2026年01月21日(水)1801投稿

豊川稲荷東京別院(とよかわいなりとうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院である。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)である。大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする。大岡家では、三河時代より豊川稲荷を信仰していたといい、越前守の時に、江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して祀ったといわれる。その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。

江戸では稲荷信仰が盛んであったため、大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、一般庶民の稲荷への参拝を許していたという。その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の創建とされる。江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も参拝が毎日できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。明治9年(1876年)、東京府は、私有地で祀られる社堂への、無許可での一般参拝を禁止する布達を出した。これにより東京参詣所も一般参拝ができなくなり、大岡邸の吒枳尼天の分霊は、豊川の妙厳寺本院へ還された。2年後、府から許可が下り、一般参拝が再開された。明治20年(1887年)、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新・増築も困難であることなどから、現在地(元赤坂一丁目)に移転した。

少し前まで勘違いしていた。てっきり稲荷神社だと思っていたのだ。なんと!曹洞宗の寺院とな。そういえば、稲荷神社の狐とは少し顔が違う。

この豊川稲荷を江戸に分院したのは、徳川吉宗の時代の名奉行、大岡越前だったのか。赤坂不動尊威徳寺は、徳川吉宗の時代に徳川家の信仰の場所になっているし、赤坂という場所は、徳川吉宗の時代に発展したのかなとも思える。

中は、賑やかそのものだった。活気あふれ嬉しい限り。その為、だいぶ写真が撮れなかった。他人が写ったものは公開してはいけないというのがマイルールだ。沢山の参拝者に揉まれて、あたふたと順路を急いだ。という感じだった。先日、行った神田の街の稲荷信仰も合わせ、江戸の稲荷信仰を想うのであった。

御朱印記帳を待つ時間に、参道にある店で、きつねうどんを。700円なりい。このくらいの値段が私には分相応なのだ。赤坂周辺のオシャレな店は合わない。いなり寿司は夜に自宅でとテイクアウト。

楽しいひと時であった。お独り様。万歳。

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