とよかわいなりとうきょうべついん|曹洞宗|圓福山
豊川稲荷東京別院東京都 赤坂見附駅
8:30〜16:00
御朱印(1種類)
豐川吒枳尼眞天の御朱印
真ん中に豐川吒枳尼眞天と書かれ、右上に大岡公開基霊場の印、真ん中に梵字(豐川吒枳尼眞天真言)の宝珠印、左下に東京赤坂豊川稲荷の文字、豊川稲荷別院の印が押されています。
豐川吒枳尼眞天とは、その昔、順徳天皇第三皇太子である寒巖禅師が感得された霊験あらたかな仏法守護の善神のことを言います。
また、江戸時代に大岡越前守忠相公が日常信仰されていた豊川稲荷の御分霊もお祀りしています。
豊川稲荷東京別院参拝🙏 東京散歩⑥
赤坂氷川神社から徒歩で豊川稲荷東京別院へ赤坂の街中というよりオフィス街にある緑に囲まれた不思議な空間でした。
沢山の方がお参りされていて、本堂では御祈祷がされていて読経が聞こえてきました。
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺とよかわかくみょうごんじ」と称し山号を圓福山えんぷくざんとする曹洞宗そうとうしゅうの寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんです。
豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんとは、昔、順徳天皇第三皇太子じゅんとくてんのうだいさんこうたいしである寒巖禅師かんがんせんじが感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。 豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんが稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
本堂
融通稲荷
弁財天
お稲荷さんラッピング自販機
氷川神社から豊川稲荷の途中にTBS
住所 | 東京都港区元赤坂1-4-7 |
---|---|
行き方 | 東京メトロ銀座線/丸の内線「赤坂見附駅」(B出口)から徒歩5分, 東京メトロ有楽町線/半蔵門線・南北線「永田町駅」(7番出口)から徒歩5分
自動車
|
名称 | 豊川稲荷東京別院 |
---|---|
読み方 | とよかわいなりとうきょうべついん |
通称 | 豊川閣妙厳寺 |
参拝時間 | 8:30〜16:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり 御朱印や御朱印帳には、ご本尊の吒枳尼天を表す宝珠が描かれています。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3408-3414 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.toyokawainari-tokyo.jp |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご本尊 | 《主》豊川吒枳尼真天 |
---|---|
山号 | 圓福山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
体験 | 坐禅(座禅)祈祷結婚式御朱印 |
概要 | 豊川稲荷東京別院(とよかわいなりとうきょうべついん)は、東京都港区元赤坂にある曹洞宗の寺院である。豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の、唯一の直轄別院(飛び地境内)である。 |
---|---|
歴史 | 沿革[編集] 大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とする[1]。 大岡家では、三河時代より豊川稲荷を信仰していたといい、越前守の時に、江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して祀ったといわれる。その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。 創建[編集] 江戸では稲荷信仰が盛んであったため、大岡邸では毎月「午の日」と22日には門を開けて、一般庶民の稲荷への参拝を許していたという[2]。 その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 東京メトロ銀座線・丸ノ内線 赤坂見附駅より徒歩で約5分。 |
引用元情報 | 「豊川稲荷東京別院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%88%A5%E9%99%A2&oldid=102855820 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0