とよかわいなりとうきょうべついん|曹洞宗|圓福山
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楽しみ方豊川稲荷東京別院のお参りの記録一覧
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豊川稲荷東京別院を参拝しました!
地下鉄丸の内線銀座線 赤坂見附の駅から結構歩きます。
以前コロナ禍突入の頃に節分の豆まきに伺った事があり、何も取れずでしたが、帰りに紅白のお餅をいただけたのが、とても嬉しかったです!
それ以来の参拝でした!
お参りの人が、意外にも若い人が、とても多い気がしました。
熱心にお参りされて居る方が多かった様に思えます。
夕方回ってしまい御朱印や、お守り授与所は閉まってしまいましたが、参拝やら御神籤を引いて、とても元気をいただけました!
久々の参拝でしたので、御本堂で、神社か、お寺か解らなくなったのですが、
どうも回りに柏手を打って居る方が居なかったので、手を合わせて来ました🙏
御本尊 豊川ダ枳尼眞天
(とよかわだきにしんてん)


豊川稲荷東京別院は、曹洞宗の寺院であり、愛知県の豊川稲荷妙巌寺の東京別院です。文政11年(1828年)、三河国西大平藩主であった大岡越前守忠相が、豊川ダキニ真天を邸内鎮守として祀ったことが始まりです。明治20年(1887年)に現在の港区元赤坂へ移転し、豊川稲荷妙巌寺の正式な別院となりました。
● 本尊と信仰
本尊は「豊川ダキニ真天像」であり、稲穂を担ぎ白狐にまたがる姿が特徴です。豊川稲荷は、商売繁盛・家内安全・福徳開運の神として信仰され、特に江戸時代から庶民や武将たちの信仰を集めてきました。
● 豊川稲荷東京別院の沿革 文政11年(1828年)、大岡邸内に豊川稲荷の分霊を祀り、江戸参詣所として開放。明治9年(1876年)、東京府の布達により一時閉鎖されるも、明治20年(1887年)に現在地へ移転し、一般参拝が再開されました。
● 信仰と影響
大岡越前守が生涯信仰した豊川稲荷は、立身出世や盗難除けの神として知られています。江戸時代には「石川は盗み、豊川は盗ませず」と川柳にも詠まれました。また、赤坂の花柳界が発展すると、芸道を志す人々の信仰も厚くなり、現在も著名な芸能人やスポーツ選手が多く参拝していると言われています。






令和6年(2024年)11月23日(土・勤労感謝の日)
東京都港区元赤坂の豊川稲荷にお参り
駅からハイキングで信濃町駅から四ツ谷駅まで散歩。
秋篠宮邸への出入り口を過ぎると左手に豊川稲荷東京別院がある。
ここにはこれまで何度も来ているけれど、信濃町駅の方向から来るのはおそらく初めてでなかなか面白い。
境内には今日もたくさんの参拝者が来ている。まずは本堂前でお参り。「稲荷」というと神社のような気がするがこちらは曹洞宗のお寺。なので、参拝は二礼二拍手ではなく単に拝むだけ。だけれど、二礼二拍手の人も結構いる。このあたりの紛らわしさは、まあ仕方ないですね。
せっかくなので御朱印をお願いする。直書きで500円。
境内をぐるぐる回る。それほど広くない境内にところ狭しといろいろ詰め込まれている。大岡忠相(大岡越前守)の墓もここにある。豊川から来たゆるキャラの「いなりん」も置かれている。
御朱印を待っている間にせっかくなので本堂にも上がってみる。こちらは扉を開けて上まで入れるのです。餅と油揚げと酒のお供えを持ってくる人もいる。

豊川稲荷東京別院参拝🙏 東京散歩⑥
赤坂氷川神社から徒歩で豊川稲荷東京別院へ赤坂の街中というよりオフィス街にある緑に囲まれた不思議な空間でした。
沢山の方がお参りされていて、本堂では御祈祷がされていて読経が聞こえてきました。
豐川稲荷は正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺とよかわかくみょうごんじ」と称し山号を圓福山えんぷくざんとする曹洞宗そうとうしゅうの寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像される方が多いと思われますが、 当寺でお祀りしておりますのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんです。
豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんとは、昔、順徳天皇第三皇太子じゅんとくてんのうだいさんこうたいしである寒巖禅師かんがんせんじが感得された、霊験あらたかな仏法守護の善神です。 豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてんが稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。
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