むさしいちのみやひかわじんじゃ
武蔵一宮氷川神社埼玉県 北大宮駅
8:30〜17:00
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楽しみ方
氷川神社月詣り⛩️
大湯祭前斎に参加してきました。
大湯祭は12月10日の本祭前の11月30日から12月9日までの期間、19時半から開催されます。
ここで炊かれる篝火にあたると無病息災、火防の御利益が得られると言われています。
参加は無料で神職の方々と拝殿内で神事に参加できますが、人数が多いと整理券が配られます。
今年は娘も誘って一緒に参加させていただきました。
そして前から憧れていた神社で一眼レフ構えている人についに仲間入りさせていただきました*\(^o^)/*
記念すべき最初の神社はやはり地元の氷川神社から
鹿島神宮で一眼レフで写真撮ってる若い女性を見てかっこいい✨と思ってから1年以上かかりましたが😅
部屋のオブジェにならないように使って行きたいと思います╰(*´︶`*)╯♡
あー神社の写真撮って、娘は撮らなかった😅
篝火にあたると無病息災、火防の御利益があると言われています。
12月の明治天皇 御詠歌
三の鳥居⛩️
境内の風景
大湯祭前斎の篝火が準備されてます。
戦艦武蔵の記念碑
花手水
楼門と紅葉
拝殿
楼門と舞殿
神池の宗像神社
紅葉と松尾神社
氷川稲荷神社
新たに御眷属が奉納されてました🦊
稲荷神社前手水舎の花
宗像神社
紅葉と宗像神社
神池と宗像神社
蛇の池 パワースポット✨
夜の花手水
19時20分頃参加者が集まり始めました。
19時半に太鼓の音の後、神職の方が幣で祓った後に火打ち石で着火
45分頃神職の方々がきた〜
神職の方々の後について楼門内に進みます
その後舞殿前に並び全員でお祓いを受けます。
拝殿に進み神事が行われ、20時45分頃に終了。
その後、神職の方々は摂社をまわります。
ここからは一眼レフでの写真
記念の初シャッター押した画像です♪
やはり初は地元の氷川神社からかな📷
まだ何もわからないのでオートです💦
とりあえず撮ってみました📷
拝殿内
舞殿
摂社をまわられる神職の方々
宗像神社
天津神社
松尾神社
ここまで一眼レフでした😅
大湯祭まで期間限定の八雲の鈴
金色です✨
大湯祭限定の二福神
大湯祭限定御朱印 銀 少彦名命
大湯祭限定御朱印 金 大己貴命

武蔵一宮氷川神社参拝⛩️
8月1日が例大祭ですが、仕事で上がれないので一足早くお詣りに、楼門内は例祭に向けて準備がされてました。
例祭の記念御朱印が領布されていましたのでいただいてきました。
御鎮座2500年記念事業で屋根葺き替えの奉納銅板があったので奉納させていただきました😄
例祭記念御朱印
武蔵国在住としては、勅書は読むと感動します🥹
三の鳥居⛩️
三の鳥居から参道
稲荷神社
神池と宗像神社 奥に神橋
蛇の池
神橋から楼門
神橋きれいになったような?
楼門
氏子町の提灯🏮
わが町のもあった
楼門内は例祭の準備が進んでます。
舞殿
拝殿
奉納銅板 初穂料3000円
銅板に名前と住所を記入してきました。

武蔵一宮氷川神社お詣り⛩️
限定御朱印が領布されているということでいただきに上がりました🙏
今回は市街地の参道では日本一長いと言われている2kmある参道を一の鳥居からお詣りさせていただきました。
限定御朱印 胡蝶
10月21日に開催される観月雅楽演奏会の演目の一つだそうです。
一の鳥居前の社号標
一の鳥居⛩️
一の鳥居から2km続く参道は市街地にある参道では日本一の長さだそうです。
長い緑の参道が続きます。
参道の途中には巨石も
参道の途中にある天満神社
天満神社
やっと二の鳥居⛩️
三の鳥居⛩️
三の鳥居⛩️
楼門
楼門前の手水舎
摂社 御嶽神社
摂社 門客人神社
舞殿
拝殿
父親が今日手術することになり、手術の成功を祈念しお守りもいただいてきました。
蛇の池
神池に大きなスッポン
宗像神社前手水舎
宗像神社
宗像神社裏側
宗像神社裏側にある穴には
白蛇が住んでるとか
神池
神橋
稲荷神社⛩️
稲荷神社
8月1日(例祭)
例祭・神事をもっと見る|氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。
第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。
勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。
次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。
又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。
歴史をもっと見る|| 名称 | 武蔵一宮氷川神社 |
|---|---|
| 読み方 | むさしいちのみやひかわじんじゃ |
| 通称 | 大宮氷川神社 |
| 参拝時間 | 8:30〜17:00 |
| 参拝にかかる時間 | 20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり 用紙もカラフルな季節限定御朱印がいただけます。上部には『武蔵一宮』の文字が大きく書かれています。 |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 048-641-0137 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 日本全国の一宮まとめ | |
|---|---|
| 勅祭社 第7番 |
| ご祭神 | 《主祭神》 須佐之男命 稲田姫命 大己貴命 《配祀神》 倉稲魂命 |
|---|---|
| 創建時代 | 孝昭天皇三年 |
| 本殿 | 五間社流造銅板葺 |
| 文化財 | 市指定文化財(門客人神社、御嶽神社、天津神社) |
| ご由緒 | 氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の御創立と伝えられます。御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。 第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。 次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。 又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。 |
| ご利益 | 学問の神様・合格祈願商売繁盛健康長寿病気平癒安産祈願・子宝 |
| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り一の宮 |
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