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兵庫県太子町にある神社です。
ご祭神は稗田阿礼(ひえだのあれ)、素戔嗚大神(すさのおのかみ)です。
稗田阿礼は 生没年不詳(7世紀後半から8世紀初頭)で 阿礼が聞き憶えたした天皇家や諸豪族の物語を太安万侶が編集したのが「古事記」です。
日本最古の書物の生き字引ということですね。
稗田神社は 江戸時代には聖徳太子妃である膳大郎女をおまつりすると言われていました。
中世は法隆寺・斑鳩寺と稗田神社は密接な関係があり 鵤荘成立後 総鎮守社としての役割を果たすように 法隆寺・斑鳩寺の管轄に置かれていました。
斑鳩寺からほど近い所に 静かに鎮座されています。
拝殿はとても新しく 境内はきれいに整備されていました。
御旅所が斑鳩寺にあります。
稗田神社(ひえだ神社)
~揖保郡太子町鵤~
御祭神 稗田阿禮大神
配祀神 素盞嗚命大神
秋季例祭 10月14日
社格 旧郷社
境内社
太神社 金刀比羅神社
稲荷神社 八幡神社
延喜式神名帳 山陽道神
播磨国 揖保郡「祝田神社」に比定される
式内社(小社)の論社です。
法隆寺領鵤荘の総鎮守社で、現在も旧荘域の氏神さまです。
江戸時代には、聖徳太子妃の膳大娘(かしわでのおおいらつめ)をお祀りし、御旅所の聖霊権現社(斑鳩寺)で聖徳太子を祀っているといわれていましたが、現在は、稗田阿禮(ひえだのあれ)をお祀りされています。
稗田阿禮は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の子孫の一族といわれ、
一度見た書物はすぐに暗唱することができ、一度聞いたことは忘れない、という特殊な才能の持ち主でした。
日本最初の歴史書『古事記』を編纂したと言われている稗田阿禮(阿礼)。
阿礼が聞き覚えた天皇家や諸豪族に伝わる言い伝えを、太安万侶(おおのやすまろ)がまとめて作られました。
また稗田阿禮を祭神とする説と、聖徳太子妃である膳大郎女を祭神とする2つの説もありました。
中世は法隆寺・斑鳩寺と密接な関係があり、鵤荘成立後は総鎮守社としての役割を果たすように法隆寺・斑鳩寺の管轄に置かれていました。
毎年、10月の第2土日曜日に行われる秋祭りでは、地元鵤地区が屋台を奉納し、にぎわいます。
~・~・~・~
西にある、竜神社から斑鳩寺境内にあります
稗田神社御旅所下宮(聖霊権現社)、
赤門・黒門横の冨之小川を眺めながら、
稗田神社さまにお参りさせて頂きました。
途中の風景に、『日出処の天子』が思い浮かび、まるで眼がシャッターを切るように
夢か現実か、自分の中の法隆寺と色んな思いが湧いてきては消えていきました。
お参りできてよかったです。
稗田神社さま、太子町役場さま、
お忙しい中ありがとうございました。
兵庫県揖保郡太子町鵤926
参道からは真直に感じましたが、
参道から御本殿は見えないように造成されていたのがよくわかりました。
参拝の方が途切れることはありませんでしたが、静寂に包まれて雰囲気がとてもよかったです。
斑鳩寺『黒門』
斑鳩寺境内『稗田神社御旅所(下宮)』
斑鳩寺境内『聖霊権現社 御本殿』
斑鳩寺『赤門』
冨之小川
太子町マンホール
稗田神社参道
稗田神社(上宮)
稗田神社御朱印
手水舎
若奥様が早朝から境内の掃き掃除をされていらっしゃる中 参拝させて頂き、少しお話をさせて頂きました。長野から嫁いで来られ、少し前に長野県へ帰省お参りされましたら、「長野はもう銀杏が散ってしまっていた」そうです。今年は銀杏が散るのが早く感じましたが、参拝者にとりましては、有難い黄金色の絨毯に感じました。
御堂筋の銀杏を思い、「男の子ですか?」とおたずねしましたら、「御本殿左右に雌雄あり、こちらは女の子です。4年前に剪定したのですが、3年程ギンナンの実をつけなくなりました。皆さんよく拾っ頂いていたのですが。」早くまた実をつけてくれるとよいですね。
御本殿
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