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鴨居八幡神社のお参りの記録一覧
神奈川県 浦賀駅

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ひなぎく
ひなぎく
2024年12月15日(日)875投稿

神社の目の前が鴨居海岸になっているので、鳥居越しの海の景色を楽しみに参拝しました。御朱印も丁寧に対応していただきとても素適な神社でした✨

横須賀市の神社の紹介文によると、
・古い時代鴨居の鎮守は素戔嗚尊を祭神とする須賀神社だった
・八幡神社は、三浦大介義明の四男、多々良四郎義春が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したことに始まり、観音崎の多々良浜の奥の谷戸に鎮座していた
・江戸時代に八幡神社が鎮守となり須賀神社は合祀された
・八幡神社境内から弥生時代の遺跡(貝塚)が発見された
とのことが書かれていました。

境内には鴨居の地名由来についての看板がありまして、由来は諸説あるようなのですが、私は鴨のつく地名と聞くと単純なので鴨氏が関係しているんじゃと思ってしまいまして、ちょっとだけ調べてみました。

まず気になったのが、近くの観音崎にある多々良浜です。由来の1つがこの付近で砂鉄を原料とした「たたら製鉄」が行われたからというものでした。

また、『論文「角」とよばれる釣針について〜三浦半島出土の資料を中心として/中村勉』から一部引用、抜粋すると、

八幡神社境内貝塚から「角釣針」が出土していて、それときわめて類似するものが和歌山県から多く出土している。

この釣針の出土と魚の分布が一致するものとして鰹に並ぶものがなかった。よって鰹漁に使われたと思われる。

紀伊半島から三浦半島にかけての太平洋沿岸地域には、漁業技術や精神文化を共有する1つの地域圏が存在していて、形成する主体的役割を担ったのは、紀伊半島の人々だったと思われる。黒潮の流れは鰹の道であり、人々が結び合う文化の道でもある。

とのことでした。
紀伊半島といえば葛城鴨氏!鰹を追いかけ黒潮に乗り流れてきてそのまま住み着き、土地の人々に製鉄技術などの文化を伝えたと考えることもできるんじゃないかなぁと思いました。

追記
紀伊半島といったら熊野大社もですよね。八咫烏=賀茂大神。先日とある神社の禰宜様から聞いた話だと、やはり黒潮に乗っての行来は昔からあるようです。

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