しのむらはちまんぐう
篠村八幡宮京都府 馬堀駅
社務所
年始及び祭事日のみ
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
足利尊氏旗あげの地の石碑が境内にあります、元弘3年(1333)4月29日、足利尊氏公が社前に必勝の願文(現存)を奉じて尊王討幕の旗揚げをしたことで知られる。ツブラジイの御神木 幹回り約5メートルの巨樹です境内近くには、旗立楊もあります、
御由緒書きより
平安京遷都以来平安京の4隅と、平安京に通じる主要6街道の国境に10箇所の勅願の厄除祈願祭執行場所が設けられ、平安京への悪霊・怨霊・疫病の侵入を防ぐ祭典が執り行われていた。後に、祠を設けて、常に厄神・疫神から都を守護するようになった。
都周辺の10箇所の1つが995年創建の今宮神社であり、同時期の石清水八幡宮の疫神堂とともに、篠村八幡宮乾疫神社も同時期のものとされる延久3年(1071)、後三條天皇の勅願により源頼義公が応神天皇陵を守護する誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)から勧請して八幡宮を創建した・・・太古からの信仰の地、乾疫神社の所在地を選択。神社の維持運営に充てるため、延久4年に頼義公は篠村荘を神社に寄進している
延久3年(1071年)源頼義が勅宣により誉田八幡宮から勧請したと伝わる。
足利尊氏が挙兵した地として知られ、境内には「矢塚」や「旗揚げの地碑」などがあります。
樹齢600年以上の椎の大木が矢塚の上にあったが、1934年の室戸台風で倒木してしまった。
社務所
拝殿
稲荷神社
稲荷神社
矢塚
足利高氏旗揚げの地碑
※後に尊氏に改名した
乾疫神社
小宮社四社
住所 | 京都府亀岡市篠町篠八幡裏4 |
---|---|
行き方 | トロッコ亀岡駅より徒歩17分
|
名称 | 篠村八幡宮 |
---|---|
読み方 | しのむらはちまんぐう |
通称 | 篠村八幡宮 |
参拝時間 | 社務所
|
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0771-24-6395 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后 |
---|---|
創建時代 | 1071年(延久3年) |
創始者 | 源頼義 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 足利高氏願文 1巻(京都府有形文化財)
|
体験 | 御朱印武将・サムライ |
概要 | 篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)は、京都府亀岡市篠町篠にある神社。旧社格は村社。 足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として知られる。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 社伝や本殿の棟札によれば、延久3年(1071年)に勅宣によって源頼義が誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)から勧請し創建したとされる。延久4年(1072年)5月13日付の頼義の社領寄進状も現存する。篠村の荘園は藤原氏によって開かれたものであったが、いつの頃からか源氏が相伝することになり、その荘園に勧請されたものとされる[1]。 当地は足利高氏(尊氏)が鎌倉幕府打倒の挙兵をした地として知られ、亀岡市指定史跡にも指定されている。高氏は元弘3年(1333年)4月29日に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。また後醍醐天皇と決別した...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 本社大祭 放生会(9月第3日曜) 秋季例大祭(10月25日) 乾疫神社大祭(1月19日) |
引用元情報 | 「篠村八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AF%A0%E6%9D%91%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=93726404 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0