真言宗泉涌寺派
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740年聖武天皇の勅願により良弁が開いたと伝わる。
長享年間(1487年~1489年)室町9代将軍・足利義尚が、佐々木六角高頼討伐のための陣を構えその兵火で焼失。
1570年織田氏と六角氏の兵乱で再び焼失した。
現在の堂宇は1684年戒山慧堅が再興したものである。
現在は3つが欠損し十重になっている十三重宝塔は、鎌倉時代後期の造立で重文指定されている。
本堂
方丈
十三重塔
十三重塔
十三重塔
山門
滋賀県の寺院巡りの3寺目は、2寺目の大津市からやや離れた栗東市に在る東方山 安養寺です。
真言宗泉涌寺派で、本尊は薬師如来。
この薬師如来坐像は重文です。
観光寺院ではありませんので事前予約してから伺いましたが、いきなりでも寺院の方がいらっしゃれば対応頂けるようです。(その旨の貼紙あり)
740年に聖武天皇の勅願により金勝寺25別院の1つとして良弁僧正が開基。834年に弘法大師空海が中興し真言宗に改宗、伽藍造立の本願は藤原良房による。1263年に亀山天皇が勅願所とされ、七堂伽藍をはじめ20余の僧坊が並ぶ大伽藍を建立した。その後の1487年に足利義尚が佐々木(六角)高頼の討伐のため陣所とした事による戦乱のため僧房が半数になり荒廃。その後復興したが、1570年に織田信長の兵火のため本尊の薬師三尊等の一部を除いて焼失。1684年に戒山慧堅律師により再建した。
大津市北部からの移動で、当寺院が名神・栗東IC近くのため、湖西道路→名神高速利用としました。栗東IC下りて5分足らずで駐車場に到着。名神高速沿いというか直ぐ南。名神高速は昔の寺領を横切っている事になります。
北から南へ参道を進むと左90度に山門、山門をくぐると正面に薬師堂(本堂)で、その少し左奥に観音堂(方丈)です。全て西向きに建てられています。左側に庫裏がありましたので、拝観予約した者と伝えるとご住職が出てこられて対応して頂きました。
先ずは観音堂(方丈)に上がらせて頂きました。
須弥壇の中尊は聖観音菩薩、左側に毘沙門天。右側の脇間には聖歓喜天なので厨子の中。左側の脇間には大黒天、不動明王、愛染明王、地蔵菩薩、等々が安置されています。
(ご住職から説明を受けるまでこちらが本堂だと思っていた。)
それから渡り廊下を通って薬師堂(本堂)へ。裏戸から入ります。正面に回り込むと薬師三尊と十二神将。本尊の薬師如来坐像は高さ約137cm、玉眼、鎌倉時代の作で重文。お顔がほっそりして強面に感じます。脇侍の日光・月光菩薩立像は高さ約174cm、同じく鎌倉時代の作で市指定文化財。左右6躯ずつの十二神将は江戸時代の1692年の作です。
左側奥の間には位牌が多数置かれている所に阿弥陀三尊。中尊の阿弥陀如来立像は高さ約79cm、平安時代後期の作で市指定文化財。脇侍の観音・勢至菩薩は一具ではなく室町時代頃の作と思われます。ふっくらとしたお顔が優しそう。
薬師堂を出て渡り廊下を戻り、観音堂の前を過ぎて逆側に行くと客殿で、その前に庭園。琵琶湖を象った池があり、県の名勝指定されています。
拝観後に御朱印をお願いし、拝観料と併せてお納めしました。
御朱印
山門
鐘楼
八十八ヶ所霊場巡り
本堂(薬師堂)
十三重塔(重文)
水掛不動尊
方丈(観音堂)
聖観音菩薩
毘沙門天(恥ずかしがり屋なのか柱の陰に)
聖歓喜天
大黒天
不動明王
愛染明王
薬師三尊、十二神将
薬師如来坐像
日光菩薩
月光菩薩
十二神将
阿弥陀三尊
阿弥陀如来
観音菩薩
勢至菩薩
庭園
名称 | 安養寺 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 077-552-0082 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
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