はくさんじんじゃ
白山神社東京都 白山駅
社務所:09:00〜17:00
御朱印 (1種類)
白山神社でいただける御朱印は1種類です。
白山神社の御朱印
いつも新潟市内にくると必ずお参りする白山神社さんを参拝。
今回も雲ひとつない暖かな小春日和で、気持ちよく参拝できました。
これまでは駐車場もスムーズに入れたのに、今回はやけに混んでて警備員も配置されてる。土曜日だからかとも思いましたが、今日は3/1のおついたちってのも関係あるのかも??
何にしても参拝者で神社が賑わうのは良いことです😍
今回は春詣の箔押し御朱印と新たに叶守をいただきました。
参拝後にはずっと気になってた洋食屋キリンさんでランチ🍴
お店は、白山神社の一の鳥居に面した道路の横断歩道を渡ったすぐ先に建ってます。
前にテレビで異様にオムライスをオススメしてくるお店として紹介されていて、お客さんが他のどんなメニューを注文しても何だかんだと理由をつけてオムライスに変更させる的な感じで放送されてました。そしてそのオムライスも注文からわずか1分で提供というトンデモなお店。
果たしてテレビの内容は本当なのか確かめたかったので、今回遂に確認する事ができました😁
実際は他のメニューを頼んでも強引にオムライスを勧めてくるようなことはなく、現にナポリタンを注文してるお客さんもいました。
オムライスの提供スピードもテレビのような速さではありませんが、普通のお店よりは断然スピーディでした。おそらく5分もかからないくらい。
お値段はやや高めですが、ボリュームたっぷり食べ応え十分なお料理でした😋
お店のマスターもテレビでやってたようなぶっきらぼうな感じでもないし、番組製作側が面白おかしく紹介するために意図的に演出していたようです。
テレビの内容が全て真実だとは思いませんが、こうして実際に自分で確認してみることで如何にテレビが放送する内容が実際と隔たりがあるのか、そしてテレビの内容を鵜呑みにする怖さが体感できました💦
腹ごしらえを終えて、本日最後の神社へと向かいます。
社号標と一の鳥居
狛犬
花手水
天井には風鈴が🎐
梅の花はまだまだ咲いてませんが、とても綺麗でした
社殿
御朱印&お守りとパチリ
洋食屋キリンさんへ!
屋号の通り、入り口にはキリンが🦒
メニュー
オムライスを勧めるワケ
結構合理的な理由の気がします笑
注文したオムライス!
ボリュームたっぷり😋
さぁ東京⑫『白山神社』🍁
この日の締め参拝〜御朱印をいただく気満々で向かったのですが社務所は閉まっている 。:゚(;´∩`;)゚:。 時間は16時01分… タッチの差だったようです。後ろから来ていた男子学生さんのグループもガックリしていました⤵️
こちらは紫陽花の名所だし、いい季節にまたおいでってことだと解釈。紅葉に黄葉と楽しんだ1日でしたが、こちらはツワブキがあちらこちらに咲いていて可愛いらしかったです♪
紅葉もいい感じでなんだかオシャレ🥰
で、写真パシャパシャしてなければ右側の社務所は開いていたのだろうか… 1分前まで開いていたような気配は全く感じられなかった🥲
手水舎
バックの紅葉とのコラボがシブい感じ🍁
なかなか素敵な龍神様🎵
ショック癒す可愛いをツワブキ💓
御社殿🙏
日も陰りちょっと淋しい感じの参拝。
気の持ちようですかね…
社務所が閉まっていたダメージが響く😣
お目々も紅葉しているみたいな狛犬さん😄
桜は咲いてないけれど
ツワブキの可愛い黄色にホッコリ😊
境内社の鳥居脇にもツワブキ✨
次は紫陽花を目指して伺います😌
ちょっと残念な〆でしたが…
懲りずに来年リトライ!!
当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(1703)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり。再建せられたるも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。
(なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり。)
当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである。
住所 | 東京都文京区白山5-31-26 |
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行き方 | 都営地下鉄三田線 白山駅 から徒歩3分
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名称 | 白山神社 |
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読み方 | はくさんじんじゃ |
通称 | 白山さま |
参拝時間 | 社務所:09:00〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり 東京十社の一つ |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03‐3811‐6568 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
東京十社 |
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ご祭神 | 《主祭神》 菊理比咩命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 天暦二年(948) |
本殿 | 権現造 |
ご由緒 | 当社人皇六十二代村上天皇天暦二年(948)九月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。建武四年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和二年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安四年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文六年(1677)九月二十九日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。元禄三年(1690)正月二十九日旧幕府より社領三十石寄附之あり。右朱印元禄六年(1693)九月二十九日戸田能登守相渡さる。元禄十六年(1703)十一月二十九日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704)六月十四日加藤越中守掛にて仮殿手当として金五百両桧五千挺寄附あり。再建せられたるも享保三年(1719)三月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治三十二年拝殿建設、昭和八年改修し同九年九月十八日盛大に正遷座大祭施行す。
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体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り |
概要 | 白山神社(はくさんじんじゃ)は、東京都文京区白山にある神社である。旧称白山権現社。この地域の「白山」という地名の由来である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 天暦2年(948年)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に創建された[1]。元和年間(1615年-1624年)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655年)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。明治初期には准勅祭社に指定された[1]。 ^ a b 東京都神社庁. |
アクセス | 交通[編集] 都営地下鉄三田線-白山駅 A3出口より徒歩2分(経路案内)。 鳥居(2019年6月19日撮影) 参道(2009年6月9日撮影) 参道から本殿を見る(2019年6月19日撮影) 本殿(2019年12月15日撮影) 文京あじさいまつり(2009年6月9日撮影) 同左(2009年6月9日撮影) |
引用元情報 | 「白山神社 (文京区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%96%87%E4%BA%AC%E5%8C%BA%29&oldid=101962620 |
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