臨済宗相国寺派
【スペシャル特典】毎月幸せと健康を神社お寺でご祈願
おすすめの投稿
見性寺(けんしょうじ)
~街道をゆく 司馬遼太郎先生~
山号 佛通山
宗派 臨済宗相国寺派
国重要文化財
見性寺毘沙門天立像
見性寺の創建は諸説あり、書写山円教寺の開基となった性空上人によって開かれたのが始まりとも、遊女である室君(木曽義仲公第三夫人 山吹御前)が建立した精舎の1つとも云われています。
当初は正法寺と称し天台宗の寺院でしたが、弘安6年(1283)玄海和尚が再興し、その後、在中和尚が禅宗に改宗し寺号を見性寺に改称されています。
鎌倉時代末期には足利尊氏が見性寺を訪れ赤松則村と倒幕の計画を練ったとも云われています。
寺宝の毘沙門天立像は平安時代室津の海中から出現したものと伝えられるもので楠材、一木造、平安時代後期製作推定、国指定重要文化財に指定されています。
通例の毘沙門天は宝塔を捧げる姿で表されていますが、見性寺像は宝塔を持たないで右手を腰部にあてています。
つくりはクスノキ一木造りで、内刳りは施されていません。眼はカッと見開いて、情怒の形相をしていますが、その表情は穏やかで動静も抑えられています。
胸の厚みをやや減じるものの、一木造りらしい堂々たる作風を示しています。
創作年代は平安時代後期と考えられています。
~・~・~・~
◆室津民俗館
屋号を「魚屋」といい、江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構。
室津の大規模な町家を代表する数少ない貴重な建物です。 館内では、海の宿駅として栄えた室津の歴史を、「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の四つのテーマで紹介しています。
こちらの民俗館と見性寺さまとは共通の庭として繋がっているような景観です。
◆たつの市立室津海駅館
室津の町並みは江戸時代参勤交代の制度が行われていたころ最も栄え、当時の面影が今に残っています。室津民俗館は海産物問屋の豪商「魚屋」の跡で、建物の保存を目的として資料館になり、昭和63年3月に県の重要文化財に指定されました。上段の間をもち、室数23・畳数150をこえる豪勢な建物で、江戸時代、室津が最も栄えていた頃の面影をのこす貴重な建物です。
和尚さまに一目お会いさせて頂きたく、両民俗館の職員さまにお世話になり、お参りさせて頂いていますが、全く叶いません。
ハーバーライトが
朝日にかわり~♪𓅿𓅿𓅿𓈒 𓂂𓏸
来年もお参りさせてください。
たつの市御津町室津311
湾は 意外に小さい。
湾の小ささが、室津の風情を
いっそう濃くしている。
街道をゆく 司馬遼太郎
友君
木曽義仲公第三夫人 山吹御前
清十郎さん生家跡
お夏さんの仏像
新年を迎える準備が着々と🎍
友君橋
年末の友君橋より
道の駅 御津(みつ)
見性寺
~室津港 平清盛 足利尊氏 大内政弘公~
臨済宗 相国寺派
見性寺の創建は諸説あり書写山円教寺の開基となった性空上人によって開かれたのが始まりとも、遊女である室君が建立した精舎の1つとも云われています。
当初は正法寺と称し天台宗の寺院でしたが弘安6年(1283)玄海和尚が再興し、その後、在中和尚が禅宗に改宗し寺号を見性寺に改称しています。鎌倉時代末期には足利尊氏が見性寺を訪れ赤松則村氏と倒幕の計画を練ったとも云われています。
寺宝の毘沙門天立像は平安時代室津の海中から出現したものと伝えられるもので楠材、一木造、平安時代後期製作推定、国指定重要文化財に指定されています。
~・~・~・~
室津海駅館は、近世から近代にかけて廻船問屋として活躍した豪商「嶋屋」の遺構です。
建物は、嶋屋(三木)半四郎が江戸後期に建てたもので、1873(明治6)年に一部増築しています。
切妻平入り本瓦葺き二階建てという室津の町家の特徴をよく残しており、座敷回りの意匠がすぐれているところからたつの市の文化財に指定されています。「魚屋」(室津民俗館)とともに、室津の大規模な町家を代表する数少ない貴重な建物です。 館内では、海の宿駅として栄えた室津の歴史を、「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の四つのテーマで紹介しています。
室津民俗館は、屋号を「魚屋」といい、江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
建物は大通り中央部の山側にあり、対面する海側には惣会所や高札場、本陣肥後屋や筑前屋が軒を連ね、江戸期の室津における宿駅と商業の中心的な場所に位置していました。
室津を代表する大型町家ですが、吊り上げ式二重戸や隠し階段など、他の町家には見られない仕組みがあります。2階の土間上は室津では珍しい虫籠窓になっています。1988(昭和63)年には兵庫県の文化財にも指定されています。
港町・室津を紹介する資料館として、館内には室津の歴史や民俗関連の資料を展示しています。
室津は古くから天然の良港として知られ、伝承によると神話の時代、神武天皇が東夷東征の際、湊が開かれたのが始まりと伝えられています。
播磨国風土記にも室津泊のことが記されており、当時から風を防ぐ事に適していたと思われます。奈良時代に入ると行基菩薩に定められた摂播五泊(河尻(尼崎)、大輪田(兵庫)、魚住(明石) 、韓(的形)、室津)にも選定され「室津千軒」と称されました。
中世に入っても重要性は失われず、平清盛や足利尊氏、足利義満、法然上人、大内政弘などが室津湊を利用、日明貿易でも重要視されました。
江戸時代に入ると、西国大名の参勤交代の宿場町として発展し、最大6軒(肥後屋・肥前屋・紀伊国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)の本陣が設けられました。
お見事でした。参勤交代のお武家さまの御屋敷。肥後藩の模型がありました。
町を散策している最中に、位置がわからなくなりお散歩中の方にお尋ねしていたら、小学校高学年の女の子が立ち止まり、目を見て『こんにちは』とお辞儀をされました。
私もゆっくり『こんにちは』と頭を下げました。細々と寺社巡りをしていますが、こういう光景は初めてで、室津の文化・日常の素晴らしさを垣間見た様で幸せな驚きでした。
多分、道をお尋ねした方がご立派な方だったのだと思います。
一期一会。
ご親切に接して頂きありがとうございました。
たつの市御津町室津311
お夏清十郎物語(実話)
近松門左衛門や井原西鶴による悲恋の物語や
鏑木清方 (1878―1972)
1939年 絹本着彩画
神奈川県立近代美術館所蔵
等も有名です。
桜の花が咲く美しい季節。水辺に幕をはって敷き物をしき、若い女性が寝転んでいます。料理が入った重箱にも手をつけず、お花見もせず、一人きりで悩んでいるような様子です。 これは江戸時代の実際の事件にもとづいた物語を題材に描かれたものです。
お夏というこの女性は、江戸時代の旅館・但馬屋の娘で、使用人である手代の清十郎と恋に落ちます。しかしお夏は主人の娘、清十郎は使用人、その身分の違いから恋をゆるしてもらえません。二人は駆け落ちを決意し家出をしますが、かわいそうな事に清十郎はつかまって殺され、それを知ったお夏は、悲しみのあまり気が狂ってしまいます。 鏑木清方は「お夏を描かうと思ひ立つて、竪から、横から、表から、裏からと、…行から行の間をも漏らさじと」ていねいに物語を読み、6つの場面をえらびました。これは第二の場面で、清十郎を好きになったお夏の、恋に悩むすがたです。
~今、絵画を見れなくても、絵の情景が浮かびます。~
1人で30個くらい頂きました!
残り2個・・・
せとうち
寒かったですが、当日は穏やかで島々まで美しかったです。
食べすぎやろ むぅ
見性寺
山号 佛通山
臨済宗相国寺派
見性寺の創建は諸説あり書写山円教寺の開基となった性空上人によって開かれたのが始まりとも、遊女である室君が建立した精舎の1つとも云われています。
当初は正法寺と称し天台宗の寺院でしたが、弘安6年(1283)玄海和尚が再興し、その後、在中和尚が禅宗に改宗し寺号を見性寺に改称しています。
鎌倉時代末期には足利尊氏が見性寺を訪れ赤松則村と倒幕の計画を練ったとも云われています。
寺宝の毘沙門天立像は平安時代室津の海中から出現したものと伝えられるもので楠材、一木造、平安時代後期製作推定、国指定重要文化財に指定されています。
~・~・~・~
室津民俗館は、屋号を「魚屋」といい、江戸時代には苗字帯刀(豊野家)を許され、姫路藩の御用達をつとめた豪商の遺構です。
室津の大規模な町家を代表する数少ない貴重な建物です。 館内では、海の宿駅として栄えた室津の歴史を、「廻船」「参勤交代」「江戸参府」「朝鮮通信使」の四つのテーマで紹介しています。
建物は大通り中央部の山側にあり、対面する海側には惣会所や高札場、本陣肥後屋や筑前屋が軒を連ね、江戸期の室津における宿駅と商業の中心的な場所に位置していました。
室津を代表する大型町家ですが、吊り上げ式二重戸や隠し階段など、他の町家には見られない仕組みがあります。2階の土間上は室津では珍しい虫籠窓になっています。1988(昭和63)年には兵庫県の文化財にも指定されています。 港町・室津を紹介する資料館として、館内には室津の歴史や民俗関連の資料を展示しています。
室津は古くから天然の良港として知られ、伝承によると神話の時代、神武天皇が東夷東征の際、湊が開かれたのが始まりと伝えられています。
播磨国風土記にも室津泊のことが記されており、当時から風を防ぐ事に適していたと思われます。奈良時代に入ると行基菩薩に定められた「摂播五泊」
瀬戸内海沿岸に開かれた河尻 (淀川河口の地) 、摂津大輪田泊 (神戸付近) 、魚住泊 (明石市魚住町) 、韓 (から) 泊 (加古川河口) 、
播磨茶生 (はりまむろう) 泊 (兵庫県室津) の5港。
天平年間 (729~749) 行基が開いたと言われ、間隔はほぼ1日の航路にあたり、奈良平安時代に瀬戸内海交通の要衝として栄えました。
室津も選定され「室津千軒」と称されました。
中世に入っても重要性は失われず、平清盛や足利尊氏、足利義満、法然上人、大内政弘などが室津湊を利用、日明貿易でも重要視されました。
江戸時代に入ると、西国大名の参勤交代の宿場町として発展し、最大6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)の本陣が設けられました。
素晴らしい御寺さまで、四度御朱印拝受ならず。
それでもまたお伺いしたいです。
次は4月に参ります。
たつの市御津町室津311
名称 | 見性寺 |
---|---|
電話番号 | 07932-4-0759 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 臨済宗相国寺派 |
---|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
45
4