たけみずわけじんじゃ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり95台 |
その他の巡礼の情報
長野県のおすすめ2選🍁
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参拝記念⛩️✨️
武水別神社
御神縁めぐり⑦
長野県千曲市に鎮座する武水別神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
車道にまたがる大鳥居に歓迎され、やけに境内も広いなー(^_^;)
と思いながら参拝させて頂いていて、御朱印を拝受する際に由緒を見ていたら…
名神大社と記載されているではないですか!!
立派な大鳥居と境内の広さに納得いたしました。
といいますか…
やはり、各神社さまへ上がらせて頂く前にある程度の予習をしてから上がりたいと改めて思いました。
拝殿と本殿の彫刻が立派すぎて、社殿の佇まいも美しくて時間を忘れてしばらく眺めてしまっていました。
名物の『うずら餅』もしっかりと美味しく頂きました🙏
切絵の御朱印も美しく、母親が拝受させて頂き大変気に入っていました。
御朱印 書入れ
通常版
御朱印 書入れ
御神縁めぐり版
切絵 御朱印
大鳥居
社号標
由緒
秋葉社 和御魂
鹿島社
秋葉社 荒御魂
ヒノカグツチの和御魂と荒御魂が並んでいるのは初めて見ました!
高良社
名物
参道
中に入れそう!?
中から見上げて
手水舎
市教育委の努力の賜物
鳥居
狛犬
境内社
神楽殿
拝殿
屋根上の鳩
滝壺の石
さざれ石
絵馬
【信濃國 式内社巡り】
武水別神社(たけみずわけ~)は、長野県千曲市八幡にある神社。式内論社(名神大)で、信濃国四之宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は武水別大神、相殿神は誉田別命、息長足比売命、比咩大神。別名は「八幡宮」。
社殿によると、第8代孝元天皇の御代の創建。国史の初見は平安時代の866年で、無位から一躍して従二位の神階奉授を受けている。927年に編纂さ入れた『延喜式神名帳』に記載のある「信濃國 更級郡 武水別神社 名神大」の論社となっており、他の論社としては桶知大神社(長野市大岡丙)がある。当社の周辺一帯は平安時代末期より京都・石清水八幡宮の荘園となっており、安和年間(968年~970年)に八幡神が勧請されたと伝わる。以後、広く武門の崇敬を受け、木曾義仲が祈願したと伝わるほか、川中島の戦いの時の上杉謙信の勧請文も残されている。江戸時代に入ると、江戸幕府から朱印地200石を与えられた。明治に入り、社号を「八幡宮」から「武水別神社」に復称し、近代社格制度の下、はじめ郷社に列し、のちに県社に昇格した。
当社は、JR篠ノ井線・姥捨駅の北北東3km弱の千曲川西岸の平地にある。当社西側は古くからの門前町のようで、市街地になっている。南北に長い境内は広く、旧県社にも納得。そこに社殿などの立派な建物を加えると、別表神社であることも納得。長野県の天然記念物となっている社叢を中心に、緑豊かで神聖な空気感は、往古からの大社であることを感じさせてくれる。
今回は、信濃國の式内(名神大)論社、長野県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、天気の良い週末ということもあるが、自分たち以外にも普通の参拝者が訪れていたほか、何組もの家族連れがおめかしをして祈祷を受けに訪れていた。
県道77号線(長野上田線)の上に立つ<大鳥居>。
境内に入ると、すぐに<太鼓橋>が架かる。このあと参道は社殿まで、真っ直ぐ数百m続く。
左奥には<社号標>がある。
社号標の後ろ、参道左側にある<祠三社>。左から順に、<秋葉社(荒魂)>、<鹿島社>、<秋葉社(和魂)>。
祠三社の右隣にある<神輿休処>。
神輿休み処の右隣にある、摂社<高良社>。室町時代後期、16世紀ごろの建築と推定されていて、当社境内で最も古い建物とのこと。
高良社の右隣にある茶店<うづらや>。
「元祖・名物 登録商標」の台詞に負けて入店し、「名物うづらもち」と「アイスあまざけ(アルコール無)」を注文。うづらもちは上品な甘さでお茶との相性も抜群。冷やしあまざけもなかなかイケる。(o^―^o)
参道右側には社叢が続くが、長野県の天然記念物に指定されている。かつて神仏習合の時代までは、仏塔などがあったとのこと。
参道左側の見事な古木。幹は一度切れているようにも見えるが、上の葉の茂り方は非常に盛ん。
参道左側の<手水舎>。
手水舎後ろにある、<川中島の戦い 初戦の地・八幡>と書かれた石碑。
参道の右側にある<総代会館>。
いよいよ、神域の入口になる<中鳥居>。
中鳥居の左側にある<狛犬>。
中鳥居の右側にある<狛犬>。
中鳥居をくぐると、参道の両側は駐車場になっている。その左側にある境内社群。左から順に<疱瘡社>、<神武天皇社>、<酒造祖社>。
境内社群の右後ろにある<宝蔵>。この右手が駐車場入口。
参道の右手にある<額殿>。
額殿の手前にある<勅使殿>。
勅使殿の後ろにある<拝殿(祈祷殿)>。社殿周りの多くの建物は、江戸時代後期1842年の火災の後の、1856年建立。166年の歴史がある。
<拝殿>正面。正統派の構え。当日は拝殿内で祈祷が行われていた。
<拝殿>全景。後ろの屋根が見える大きな建物は<本殿>、左側の低い屋根は<祭儀所>。
参道の左側にある<社務所>。その奥は<御供所>。
こちらは<献納滝壺の石>。平安時代後期、木曾義仲が当社に使者を送って戦勝祈願した際に、使者がこの石にたまった水で具足を洗い、神前に額づいたと伝わっているとのこと。
<祭儀所>の手前にある、①さざれ石、②絵馬掛け、③面白い形の木。御朱印と祈祷受付は<祭儀所>にて。
拝殿の後ろにある<本殿>全景。
<本殿>正面。こちらも正統派の構え。当日は拝殿内だけでなく、こちら本殿内でも祈祷が行われていた。
本殿右側の境内社群。写真手前は<八剱社>。左隣は<宿祢社>、その左隣は<目洗石>。
本殿裏側の境内社群。主な境内社は<子安社>、<天神社>、<荒神社>、<駒形社>、<御嶽社>、<十に神社>。
本殿を斜め後ろから見たところ。
最後に<社殿>全景。お宮参りなどの正装の家族連れが多くいたが、地元で大事にされている感じが伝わって来る大社。(^▽^)/
千曲市八幡の地に大きな境内の中に立派な本殿、拝殿、御供所、杜務所、総代会館などの建物の他に数々の境内社が有り余るほどあり、初めて見る名の境内社もいくつもありました。中でも大きな本殿の彫刻は見事と言うしかありません。これだけ大きな建物をいくつも持つ神社⛩️は初めてです。大社であった歴史を感じます。
境内には八幡宮のおごくとしてうずらもちのお店までありました。
御祭神
主祭神
武水別大神
(たけみずわけのおおかみ)
相殿神
誉田別命
(ほんだわけのみこと)
相殿神
息長足比売命
(おきながたらしひめのみこと)
相殿神
比咩大神
(ひめおおかみ)
御由緒
当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
戦国時代から江戸時代にかけてはこの地方随一の八幡宮として諸武将の尊崇が篤く、慶安元年(一六四八)には幕府から朱印地二百石を与えられました。明治時代に入ると郷社に列せられ、明治四十一年に県社に昇格、現在は神社本庁別表神社に指定されております。
御神徳
主祭神の武水別大神は、国の大本である農事を始め、人の日常生活に極めて大事な水のこと総てに亘ってお守り下さる神であります。長野県下最大の穀倉地帯である善光寺平の五穀豊穣と、脇を流れる千曲川の氾濫防止を祈って祀られたものと思われます。
誉田別命は八幡大神と称えられる応神天皇のことで、古来文武両面のお徳をもって世に崇められ、国家鎮護・国威宣揚のために、農地を開拓し、学問を勧め、当時の中国大陸から学者や職工を招いて民業を指導し、国力の充実発展と人間生活の向上進展に尽くされた大徳のある神であります。
息長足比売命は応神天皇の御母君、神功皇后のことで、その昔仲哀天皇の御意志を継いで皇軍を三韓(古代朝鮮北東部、新羅、百済、高句麗)までも進められ、任那(古代朝鮮南部)との親交を図り、御稜威を遠く海外にまでのべられた神であります。
比咩大神は前の神々と御神縁が深く、御婦徳・御威徳共に兼ね備えた「田心姫」「湍津姫」「市杵嶋姫」の三女神の総称であり、国家鎮護、航海・交通安全の守護神として仰がれております。
(ホームページより)
歴史
当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
その後安和年間(九六八~九七〇)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎されました。
当社は延喜式(平安初期の年中儀式や制度などを記した書物)に名神大社として記載されており、三代実録(延喜元年に編纂された歴史書)によると貞観二年(八六〇)に従五位下、同八年に従二位の神階を受け、同九年に官社に列したと有り、上古よりの大社であったことを窺い知ることが出来ます。
武水別神社の基本情報
住所 | 長野県千曲市大字八幡3012 |
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行き方 | しなの鉄道『屋代駅』より車で10分 /
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長野県のおすすめ2選🍁
名称 | 武水別神社 |
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読み方 | たけみずわけじんじゃ |
通称 | お八幡様 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 026-272-1144 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://takemizuwake.jp/ |
おみくじ | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》武水別大神,《配》誉田別命,息長帯比売命,比咩大神 |
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創建時代 | 人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代(伝) |
文化財 | 長野県宝(有形文化財)
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ご由緒 | 当社の創建に関しては、その年代は明らかではありませんが、社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前二一四~一五六)の御代に御鎮斎と伝えられております。
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体験 | 祈祷絵馬七五三御朱印お守り武将・サムライ |
Wikipediaからの引用
概要 | 武水別神社(たけみずわけじんじゃ)は、長野県千曲市八幡にある神社。式内社(名神大社)で、信濃国四宮。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 旧称は「八幡宮」。現在も「八幡(やわたまたははちまん)さま」「八幡神社(やわたじんじゃ)」の通称がある。 |
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歴史 | 歴史[編集] 概史[編集] 創建年代については社伝によると、第8代孝元天皇の時代に鎮祭されたという[1]。 国史での初見は貞観8年(866年)で、無位から一躍して従二位の神階奉授を受けている。また延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では信濃国更級郡に「武水別神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。ただしこれらが当社に比定されるに至る根拠は確かではなく[2]、他の論社として桶知大神社(長野県長野市大岡丙)が挙げられている。 武水別神社一帯は平安時代末期より石清水八幡宮の荘園(小谷荘)となっており、安和年間(968年-970年)に石清水八幡宮から八幡神(相殿の3柱)が勧請された...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 年間祭事[編集] 武水別神社で行われる祭事は次の通り。特に、祈年祭(3月15日)、例大祭(9月15日)、大頭祭(新嘗祭、12月10日-14日)の3祭は「三大祭」と称される[1]。 年間祭事一覧 太字は三大祭[2]。 毎月 月次祭 (1日、5日、28日) 卯の日祭 (卯の日) 1月 歳旦祭 (1月1日) 御田植祭 (1月5日) 越年祭 (1月15日) 2月 節分祭 (2月節分の日) 紀元節祭(建国記念祭) (2月11日) 3月 祈年祭 (3月15日) 初卯講祭 (旧暦2月初卯の日) 4月 日岐目講社祭 (4月中旬) 春季祭 (4月28日) 6月 大祓式 (6月30...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「武水別神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A6%E6%B0%B4%E5%88%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102338040 |
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