たかたきじんじゃ
高瀧神社千葉県 高滝駅
御朱印受付
月曜~金曜
午前9時~午前11時30分
午後1時~午後4時
土日祭
午前9時~午後12時30分
午後1時~午後4時
たかたきじんじゃ
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午前9時~午前11時30分
午後1時~午後4時
土日祭
午前9時~午後12時30分
午後1時~午後4時
人生初の小湊鉄道に乗りました。房総半島のほぼ中央にあり、目的地としないとなかなか来れない場所です。本日はゆとりを持ったスケジュールで参拝しました。列車の本数も数少なく、最寄りの駅まで到着すると、まず帰りの時刻を確認しました。駅から徒歩で向かうとまず西参道入り口に行き着きます。順序は逆になりましたが、参拝後に境内を散策し、湖上の鳥居まで足を延ばしました。
小湊鉄道、車内は随分くたびれてます
最寄りの高滝駅
2本レールがありますが、使われていません。基本的に単線使用となっています
高滝駅駅内
途中、栗が大きくなっています、まだまだ暑いのに秋はしっかりと近づいてます
「羽黒山・湯殿山・月山」大権現石柱
三峯神社 高滝駅から高瀧神社へ向かう途中松尾山の斜面に鎮座していました。独立した神社なのか、末社なのか不明
「湯殿山大神・月山大神・羽黒山大神」石碑
左、土地改良区記念碑・右は読めませんでした
ダム湖(高滝湖)養老川を堰き止めて作られた人造湖です
鳥居 一の鳥居と云って良いのかな? 順序は最後に伺いました。近くで釣りをしていたので遠目で撮影(本当は少しでも歩くのが嫌だったので、神社社頭から700m位、湖上の端を渡ります)、湖上に建っています
湖の前の道をレイクラインと呼び、モニュメントが置かれています。十和田湖の乙女の像や田沢湖のたつこ像を意識したのかな?
社号標 以前は文字が赤かったはずですが、今は色を落としているので見づらくなってます
昭和六十年(1985)奉納のニの鳥居
参道
灯籠
由緒書
高瀧神社社殿付末社社殿の説明板
子持石(子授石)
境内社 社号標
境内社 加茂護国神社 日清・日露戦争から先の大戦に至る氏子地域の戦没者を祀ります。
杉田守康先生之像 元千葉県議員
文化六年(1809)奉納の灯籠
灯籠
神橋(松尾橋)
水は干上がっていました
安永四年(1775)奉納の灯籠
石段
社務所
「純正俳句五十年」碑、背後の石碑はよく見えませんでした
「金刀比羅神社・天照皇大神・高瀧神社」碑
?岡君碑
大木五大夫句碑「何故に 母は優しき 月の秋」
三の鳥居
手水舎
文化八年(1811)奉納の手水鉢 綺麗なひまわりと思ったら造花でした
御神木
「彦狭知命・手置帆負命」(明治四十二年(1909))天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営。何故これらの神の碑があるのだろうか?
漢詩碑
高瀧神社改修記念碑(昭和四十一年(1966)) 表題の「敬神」の文字は時の内閣総理大臣佐藤栄作書です
文化二年(1805)奉納の灯籠
寛延元(1748)奉納の狛犬
文政四年(1821)奉納の灯籠
御神木「梛」
御神木「梛」の由来書
洋風の石碑(由緒書)
拝殿 享保十二年(1727)建造
扁額
イラストで参拝作法を教えてくれます
明治二十七年奉納額
本殿
神楽殿
境内社 文化九年(1812)建造
琴平神社 御祭神:崇徳天皇
境内社 白鳥神社 御祭神:日本武命
境内社 道祖神 御祭神:猿田彦命
境内社 猿田彦神社 御祭神:猿田彦命
境内社 竈大神 御祭神:奥津彦命
境内社 疱瘡神社 御祭神:疱瘡神
境内社 稲荷神社 御祭神:倉稲魂命
境内社 八坂神社 御祭神:須佐之男命
境内社 神明宮 御祭神:天照皇大神
境内社 松尾神社 御祭神:大山咋命
昭和十二年(1937)奉納の狛犬
手水鉢
石段
石段
灯篭
昭和十一年(1936)奉納の西参道鳥居
西参道(車道)
高瀧神社に森(県天然記念物)説明板
昼顔と思っていたら野朝顔でした
調べたら千日紅という花でした
房總三國神社御朱印巡り、高瀧神社を参拝しました。
令和5年2月4日、小御門神社から始めたこの御朱印巡りが、今日ついに完結します。
いつもより石段上がる足取りも軽やかにまずは参拝、無事に全て回ったことを報告しました。
御朱印の授与は社務所ではなく参集殿でした。御朱印と連絡帳をお渡しすると、「満願…、あっ、大満願ですね。」と確認され、御朱印をお書き入れいただきました。
御朱印と一緒に記念品をいただき、晴れて大満願です! 記念品はネタバレになるといけないので画像はやめておきます(もう散々バレてるかもですが)。
高瀧神社は高滝湖の真ん中にあり、参拝後湖周辺を散策しようとしたのですが、あまりに暑くてすぐ退散しました。秋は紅葉の名所らしいので、その頃もう一度参拝できたらいいな。
お書き入れで拝受しました。
鳥居の反対側には高瀧湖が。
午後の写真はこうなりがちですよね。
扁額
あっ、上總國の満願達成日、書かれてない。後で足しとこ。
房総三國神社御朱印めぐり、上總國、高瀧神社(市原市)です。
日本三代実録によると、貞観じょうがん10年(868年)に上総国かずさこく正六位しょうろくい上・高滝神従五位じゅごい下の神階を授かったという記載がされており、白鳳はくほう2年(674年)に鎮座されました。
古くから安産・子育ての霊験で知られ、「底なし袋」という高瀧神社独特の信仰があります。
社伝によると、天武天皇元年(672年)にニニギを祀って高瀧神と号したとされています。
承安じょうあん年間(1171年~1175年)に、京都の上賀茂神社、下鴨神社より分霊を勧請・合祀し、以来「賀茂明神」と呼ばれるようになりました。
高瀧という名は、かつて養老川の上流、夷隅いすみ郡粟又あわまた村(現在の大多喜町・粟又)の高瀧(通称・粟又の滝)の岸に鎮座していたことに由来しています。
洪水で御神体が流されて現社地に祀られるようになり、当地にあったタマヨリヒメを祀る神社と、粟又の滝近くにあったニニギとワケイカヅチを祀る神社を合祀したとのことです。
名称 | 高瀧神社 |
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読み方 | たかたきじんじゃ |
通称 | 賀茂大神宮・加茂大明神 |
参拝時間 | 御朱印受付
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0436-98-0472 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
ご祭神 | 《主》玉依姫命,《配》迩迩芸命,別雷命 |
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創建時代 | 672年(天武天皇元年) |
ご由緒 | 社伝によれば、天武天皇元年(672年)、邇々芸命(ににぎのみこと)を祀って高瀧神と号したとされます。
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体験 | 御朱印 |
概要 | 高瀧神社(たかたきじんじゃ)は、千葉県市原市にある神社。旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝[編集] 社伝によれば白鳳元年8月、はじめて瓊瓊杵尊を祀って「高滝神」と称した[1]。白鳳2年、上総国海上郡下地村と呼ばれていたこの地に、山背国の両加茂社を勧請したといい、これによって下地村は加茂村と名を改めたという[2]。 古代・中世[編集] 『日本三代実録』によれば、貞観10年(869年)9月17日に上総国の「高滝神」に従五位下の神階が与えられた[3][4]。 平安時代末期の承安年間(1171年 - 1175年)に加茂社を勧請し、加茂大明神を称した[1]。これにより当時の下地村は「加茂村」と名を改めたとされる[5]。戦国期の天文3年(1534年)に里見氏が上総国...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「高瀧神社 (市原市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E7%80%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%B8%82%E5%8E%9F%E5%B8%82%29&oldid=99509556 |
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