うとうじ|天台宗| 金力山
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歌道寺(うとうじ)は兵庫県丹波市にあるお寺です。
興禅寺の外壁に案内がありましたので参拝しました。
最澄上人聖句の石柱があり 有名な「一隅を照らすものは此れ則ち国の宝なり」が書かれていました。
興禅寺から少し歩いた所にありました。
案内の看板とはずいぶん違いました。
大きな本堂や巨大な延命地蔵が描かれていましたが 実際は大きなものはありません。
由緒書がありましたが 読めませんでした。
建物の手前に池があり 池がありました。
これが看板にかかれていた相念の池でした。
これもちょっと違ったかな。
ですが 「天皇陛下よりの御下賜金下付記念」とあったので 大切なものですね。
本堂には扁額があり 金力山觀龍院歌道寺 とありました。
御詠歌 「あなとうと丹波の里の阿弥陀仏万導く法の歌道寺」 の石柱もありました。
残念ながらお話は伺うことはできませんでした。
ネット情報です。
山号は金力山(コンリキザン)
宗派は天台宗
ご本尊は阿弥陀如来
由緒書の写しとかあってほしかった。
境内・文化財
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当寺の往古を知る資料は殆どなく、丹波誌に、斉明天皇の乙卯元年(655年)に鴨庄岩戸寺、竹田石像寺などと共に法道仙人が歌道寺を開基したこと、本尊の阿弥陀如来は文徳帝の仁寿元年(851年)に慈覚大師が丹波を巡錫したとき、神池寺に登り法華経を講じてみずから刻んだものを請うて歌道寺に安置したもの、という記録以外には開山やその後の移り変わりを知る資料がない。往時は一つの谷を扼して立派な二層づくりの山門を持ち本堂、庫裡などの付属建物、毘沙門堂、鎮守社稲荷大明神が棟を連ね、楓や松の老木を保っていたが、無住の時代が続き、太平洋戦争中に建造物は荒れていたが終戦後、すぐ上の毘沙門堂屋敷へ歌道寺を移し建て、旧境内内に安置されていた温石の延命地蔵菩薩像をも移転安置し歌道寺を再興した。
歌道寺の情報
| 住所 | 兵庫県丹波市春日町黒井2282-2 |
|---|---|
| 行き方 | JR福知山線黒井駅よりタクシーで約3分
|
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歌道寺の基本情報
| 名称 | 歌道寺 |
|---|---|
| 読み方 | うとうじ |
| 参拝料 | なし |
| 電話番号 | 0795-74-0980 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://hyogotendai-yb.net/jiin_daizukan/file/01/312utouji/312utouji.html |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 金力山 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 乙卯元年(655年) |
| 開山・開基 | 法道仙人 |
| ご由緒 | 当寺の往古を知る資料は殆どなく、丹波誌に、斉明天皇の乙卯元年(655年)に鴨庄岩戸寺、竹田石像寺などと共に法道仙人が歌道寺を開基したこと、本尊の阿弥陀如来は文徳帝の仁寿元年(851年)に慈覚大師が丹波を巡錫したとき、神池寺に登り法華経を講じてみずから刻んだものを請うて歌道寺に安置したもの、という記録以外には開山やその後の移り変わりを知る資料がない。往時は一つの谷を扼して立派な二層づくりの山門を持ち本堂、庫裡などの付属建物、毘沙門堂、鎮守社稲荷大明神が棟を連ね、楓や松の老木を保っていたが、無住の時代が続き、太平洋戦争中に建造物は荒れていたが終戦後、すぐ上の毘沙門堂屋敷へ歌道寺を移し建て、旧境内内に安置されていた温石の延命地蔵菩薩像をも移転安置し歌道寺を再興した。 |
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