すわじんじゃ
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藤沢市大鋸に鎮座していて、神社の前は箱根駅伝で有名な遊行寺坂です。藤沢宿の東方の総鎮守であったとされます。(西方は白旗神社)
正應2年(1289)8月23日、遊行4世呑海上人が信州須羽へ御旅をなされた時、諏訪大社の御霊をお持ち帰りになり、遊行寺の守護神として山内にお祭り申し上げたのがはじまりです。遊行寺とは神仏習合の名残をとどめる密接な関係にあります。
と、上記に記載した内容が現在の公式のご由緒となっております。これは、明治29年編纂の「藤沢沿革考」の説を用いられています。諏訪神社の過去における記録は他にもありますが、いずれも遊行寺と密接になってからの神社の歴史に焦点が当てられていることが特徴です。
そんな中興味深いなと思ったのが、藤沢市史第5巻(通史編)に取り上げられている『諏訪神社は呑海上人が藤沢に入る前から、"藤沢氏の外護のもと"にすでに勧請されていたのではあるまいか』という文言です。
これは『時宗の成立と展開』で著者の大橋俊雄氏が述べられているそうです。「藤沢氏」とは諏訪神家の一族で、信濃国伊那郡藤沢郷を本所とし、鎌倉幕府の御家人で弓術の名手として仕えた、藤沢二郎清親の子孫であるとも。
御朱印をいただく際に宮司様と少しお話をしたのですが、やはりこの辺りは諏訪神社が多いです。
最古の御分霊の社とされる片瀬諏訪神社を起点に周辺へ諏訪信仰が広がっていって、遊行寺より先にあったとしてもなんらおかしくないのかなと思いました。
以前遊行寺の投稿で藤沢の地名由来は「淵沢」からきていると書きましたが、地名由来は他にもあって「藤諏訪」なんてものもあります。今回のお話を思えば、これもありなんじゃないかと思えてくるのが面白いです。
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24.12.08。先の山王神社より徒歩6分。藤沢市大鋸3丁目の遊行寺坂沿いの高台に鎮座。
《藤沢七福神・大黒天》
御祭神 建御名方冨神
八坂刀売神
創建年 建武2年(1335年)
【由緒】〜当社HPより〜
正応2年(1289年)8月23日、遊行四世呑海上人が信州須羽へ御旅をなされたとき、諏訪大社の御霊をお持ち帰りになり、遊行寺の守護神として山内にお祭り申し上げたのが始まりです。
その後年歴を経るに従い、元禄12年(1669年)霊験あらたかなることから、広く藤沢の守護神として現在の山を切り開いて社を建てお祭りをするようになりました。しかしこの時の社殿は現在より下段の地に道路の方向に向いて建てらていました。
それ故か社前を馬に乗って通るものは必ず落馬したたとのことで、社を上段に移し南面に向きを変えて立て直しました。
時宗総本山の遊行寺(清浄光寺)の向かい側にあり、間の道路(遊行寺坂)は正月恒例の箱根駅伝のコースとなっており1月2日・3日は多くの観客で賑わいます。








21.10.03。先の妙善寺さんより徒歩15分。
藤沢市大鋸3丁目に鎮座。
《藤沢七福神・大黒天》
御祭神 建御名富命・八坂刀売命
創建年 建武2年(1335年)
例大祭 8月25日
建武2年、時宗総本山清浄光寺(遊行寺)を開いた遊行上人第四代呑海が同寺の鎮守として、信州の諏訪から勧請して創建。慶安年間(1648-1651)には鳥居前での落馬事故が相次いので風早之谷(現在の藤沢本町駅付近)へ遷座、更に元禄12年(1669)に現在地へ移転した。明治維新後の神仏分離によって清浄光寺から独立したが、現在でも祭事などの関わりは続いている。(Wikipediaより)
当社の下の道路は正月恒例の「箱根駅伝」で知られる「遊行寺坂」で向かいが通称:遊行寺(時宗総本山)です。今年1月に藤沢七福神歴史散歩で参拝したが、御朱印を拝受し損ねてたのでリベンジで再訪しました。御朱印は宮司様自宅で拝受です。(書き置き)
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