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すずじんじゃ

須須神社
石川県 穴水駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

二の鳥居裏に20台ほど駐車可能

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コバミネ
コバミネ
2025年04月29日(火) 13時54分59秒
417投稿

北陸への旅行の際、足を延ばして須須神社へ参拝させていただきました。
車で珠洲市内に入った途端、昨年の地震の影響なのか、家屋が倒壊している様子が何度も見られました。また、ブルーシートを屋根にかけている住宅も多くみられました。
道路は、復旧とは名ばかりで、所々段差がある状態で、「のと里山街道」などは、一部道路がめくりあがっている状態のところが数多くありました。
神社も石灯篭が倒れたままで神社に方に尋ねたところ、神社前まで水が上がっていたとのことでした。
今も神社前の道路は、所々がめくりあがった状態で、約一年半経ちましたが、現在でこの状態では、地震当時はどのような状態だったのか想像がつきませんでした。
市内で食事をしたりしましたが、何方も暖かな人たちばかりで、笑みを浮かべて対応していただきました。万博も大事ですが、災害に合われた方々の復興のほうが大事なのではないかと個人的に考えさせられました。頑張れ能登、一日も早い復興をお祈りしております。

須須神社(石川県)
須須神社(石川県)
須須神社(石川県)

倒れた石灯篭

須須神社(石川県)

倒れた石灯篭

須須神社(石川県)

倒れた石灯篭の根本部分

須須神社(石川県)

参道

須須神社(石川県)
須須神社(石川県)

道の駅にあった珠洲駅(?)鉄道はなし

須須神社(石川県)

珠洲駅の看板

須須神社(石川県)

青の洞窟(地面が隆起し以前のような光景ではなくなったとのこと)

須須神社(石川県)

青の洞窟

須須神社(石川県)

青の洞窟から見た「ランプの宿」、現在は休業中とのことでした。

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神祇伯
神祇伯
2023年09月11日(月) 19時28分13秒
1629投稿

能登国珠洲郡の式内社です。能登半島で最北端にある式内社で、日本海側一帯の守護神とされています。内陸部からかなりの距離がありますが珠洲一郡の総社として祭礼が行われており、あの加賀百万石の前田利家公が祈願所として定めていたほどに篤く崇敬されています。

須須神社のその他建物

《一の鳥居跡と灯籠》
非常に悲しいことに一の鳥居は今年5月に起きた奥能登地震により倒壊してしまい、再建には何年もかかるそうです…

須須神社の鳥居

《ニノ鳥居と社号碑》
この後ろに駐車場があります。

須須神社の自然

《相川七瀬献木》
奥能登地震の被害を受けたあと、神道系大学の一つである國學院大學在籍中の相川七瀬さんが復興支援を呼びかけるため当社へ訪れています。ニュースにもなったので印象的でしたね。

須須神社の歴史

《由緒書き》
元々はここよりさらに先端側にある山伏山に立っており、現在は奥宮があります。

須須神社のその他建物

《表参道①》
予想していたより長い参道でした。

須須神社の末社・摂社

《末社》

須須神社のその他建物
須須神社のその他建物

《倒壊した灯籠》
被災してから4ヶ月経ちましたが、未だに傷跡が各地に見られ、被害の大きさが垣間見えます…

須須神社のその他建物

《表参道②》

須須神社の手水舎

《手水舎》
水は流れていました。

須須神社の本殿・本堂

《拝殿》
拝殿本殿には被害がなかったようで良かったです…
また、こちらの別宮である金分宮に対して高座宮と呼ばれており、ネットで散見される御祭神:高倉彦命という方は高座宮の本来の御祭神とされています。

須須神社のその他建物

《扁額》🙏
珠洲郡には当社以外に2社の式内社がありますが、共通して立派な扁額が奉納されています。古社としてより意識されていたということでしょうか。

須須神社の本殿・本堂

《本殿》
ネットの情報によると拝殿奥には禁足地があるあるとのことで、おそらく拝殿ではなく本殿の奥だと思うんですよね。
そうかまさかこの拝殿と本殿の間の広間が禁足地…?

須須神社のその他建物

《宝物館》
国指定文化財などの貴重な史料が所蔵されています。

須須神社のその他建物

《社務所》
👁チェックポイント‼️
御朱印をいただきに社務所へ伺いまして、丁寧に対応していただきました。また、復興に向けてささやかではありますが、金一封奉納させていただきました。
復興には十数年かかるとのことでささやかなものでしかないですが、この半島の果ての地で長らく続く古社がこれからも残っていきますよう、お参りの際にはぜひご支援いただければと思います🙏

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歴史

当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。国史「三代実録」によると、貞観(じょうがん)15年(873)8月4日従五位上の神階を賜わった、延喜式内の古社で、社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり足利時代は大宮司猿女(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領3千石が献納されており、天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、社領として神田5町歩(石高75石)を寄進し、武運長久の祈願をされております。古代より縁むすびの神として、世に知られており、この「むすび」とは、ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく生成化育、修理固成という日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)さまであります。また祭礼は珠洲一郡の総社として「お郡祭(こうりさい)」「御出御幸(おいでごこう)」と称し郡内巡行の祭儀が半月がかりで近年まで斎行されていました。奥宮鎮座地の山伏山(標高172メートル)は山容優美にして海上からの景観は、鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、原始時代から北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期(約1200年前)には海上警戒の設備を置き、烽火(のろし)(狼煙(のろし))が一たび、あがると郡家で受継ぎ国府、そして京の都へ伝達されたと云われている。元禄10年(1697)加賀藩へ出した大宮司書状によるとすでに奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、一夜に油1升、燈心布3尺をもちい、夜ごと大神に献燈し、北海暗夜、渡海船を守護し、この燈明堂が明治初年現在の禄剛崎灯台に進展したものです。本社社叢(もり)は千古の昔から神域として保護され、北部照葉樹林の、うっそうたる原生林をなし境内約一万坪には、スダジイをはじめ、タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、林床にはミヤマシキミの純群落が見られ約250種の植物があり、国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、貴重な存在とされております。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋]

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須須神社の基本情報

住所

石川県珠洲市三崎町寺家4-2

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

須須神社

読み方

すずじんじゃ

通称

三崎権現、須須大明神

参拝時間

参拝/24時間

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

宝物館拝観料:大人300円 小、中学生以下無料

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0768-88-2772
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬

あり

SNS

詳細情報

ご祭神天津日高彦穂瓊瓊杵尊
美穂須須美命
他3柱
ご神体

山伏山

創建時代

崇神天皇時代

創始者

不詳

本殿

三間社流造

文化財

造男神像(国指定重要文化財)

ご由緒

当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。国史「三代実録」によると、貞観(じょうがん)15年(873)8月4日従五位上の神階を賜わった、延喜式内の古社で、社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり足利時代は大宮司猿女(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領3千石が献納されており、天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、社領として神田5町歩(石高75石)を寄進し、武運長久の祈願をされております。古代より縁むすびの神として、世に知られており、この「むすび」とは、ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく生成化育、修理固成という日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)さまであります。また祭礼は珠洲一郡の総社として「お郡祭(こうりさい)」「御出御幸(おいでごこう)」と称し郡内巡行の祭儀が半月がかりで近年まで斎行されていました。奥宮鎮座地の山伏山(標高172メートル)は山容優美にして海上からの景観は、鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、原始時代から北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期(約1200年前)には海上警戒の設備を置き、烽火(のろし)(狼煙(のろし))が一たび、あがると郡家で受継ぎ国府、そして京の都へ伝達されたと云われている。元禄10年(1697)加賀藩へ出した大宮司書状によるとすでに奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、一夜に油1升、燈心布3尺をもちい、夜ごと大神に献燈し、北海暗夜、渡海船を守護し、この燈明堂が明治初年現在の禄剛崎灯台に進展したものです。本社社叢(もり)は千古の昔から神域として保護され、北部照葉樹林の、うっそうたる原生林をなし境内約一万坪には、スダジイをはじめ、タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、林床にはミヤマシキミの純群落が見られ約250種の植物があり、国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、貴重な存在とされております。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋]

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