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須須神社ではいただけません
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すずじんじゃ

須須神社
石川県 穴水駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

二の鳥居裏に20台ほど駐車可能

おすすめの投稿

神祇伯
2023年09月11日(月)
1296投稿

能登国珠洲郡の式内社です。能登半島で最北端にある式内社で、日本海側一帯の守護神とされています。内陸部からかなりの距離がありますが珠洲一郡の総社として祭礼が行われており、あの加賀百万石の前田利家公が祈願所として定めていたほどに篤く崇敬されています。

須須神社の建物その他

《一の鳥居跡と灯籠》
非常に悲しいことに一の鳥居は今年5月に起きた奥能登地震により倒壊してしまい、再建には何年もかかるそうです…

須須神社の鳥居

《ニノ鳥居と社号碑》
この後ろに駐車場があります。

須須神社の自然

《相川七瀬献木》
奥能登地震の被害を受けたあと、神道系大学の一つである國學院大學在籍中の相川七瀬さんが復興支援を呼びかけるため当社へ訪れています。ニュースにもなったので印象的でしたね。

須須神社の歴史

《由緒書き》
元々はここよりさらに先端側にある山伏山に立っており、現在は奥宮があります。

須須神社の建物その他

《表参道①》
予想していたより長い参道でした。

須須神社の末社

《末社》

須須神社の建物その他
須須神社の建物その他

《倒壊した灯籠》
被災してから4ヶ月経ちましたが、未だに傷跡が各地に見られ、被害の大きさが垣間見えます…

須須神社の建物その他

《表参道②》

須須神社の手水

《手水舎》
水は流れていました。

須須神社の本殿

《拝殿》
拝殿本殿には被害がなかったようで良かったです…
また、こちらの別宮である金分宮に対して高座宮と呼ばれており、ネットで散見される御祭神:高倉彦命という方は高座宮の本来の御祭神とされています。

須須神社の建物その他

《扁額》🙏
珠洲郡には当社以外に2社の式内社がありますが、共通して立派な扁額が奉納されています。古社としてより意識されていたということでしょうか。

須須神社の本殿

《本殿》
ネットの情報によると拝殿奥には禁足地があるあるとのことで、おそらく拝殿ではなく本殿の奥だと思うんですよね。
そうかまさかこの拝殿と本殿の間の広間が禁足地…?

須須神社の建物その他

《宝物館》
国指定文化財などの貴重な史料が所蔵されています。

須須神社の建物その他

《社務所》
👁チェックポイント‼️
御朱印をいただきに社務所へ伺いまして、丁寧に対応していただきました。また、復興に向けてささやかではありますが、金一封奉納させていただきました。
復興には十数年かかるとのことでささやかなものでしかないですが、この半島の果ての地で長らく続く古社がこれからも残っていきますよう、お参りの際にはぜひご支援いただければと思います🙏

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歴史

当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。国史「三代実録」によると、貞観(じょうがん)15年(873)8月4日従五位上の神階を賜わった、延喜式内の古社で、社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり足利時代は大宮司猿女(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領3千石が献納されており、天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、社領として神田5町歩(石高75石)を寄進し、武運長久の祈願をされております。古代より縁むすびの神として、世に知られており、この「むすび」とは、ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく生成化育、修理固成という日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)さまであります。また祭礼は珠洲一郡の総社として「お郡祭(こうりさい)」「御出御幸(おいでごこう)」と称し郡内巡行の祭儀が半月がかりで近年まで斎行されていました。奥宮鎮座地の山伏山(標高172メートル)は山容優美にして海上からの景観は、鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、原始時代から北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期(約1200年前)には海上警戒の設備を置き、烽火(のろし)(狼煙(のろし))が一たび、あがると郡家で受継ぎ国府、そして京の都へ伝達されたと云われている。元禄10年(1697)加賀藩へ出した大宮司書状によるとすでに奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、一夜に油1升、燈心布3尺をもちい、夜ごと大神に献燈し、北海暗夜、渡海船を守護し、この燈明堂が明治初年現在の禄剛崎灯台に進展したものです。本社社叢(もり)は千古の昔から神域として保護され、北部照葉樹林の、うっそうたる原生林をなし境内約一万坪には、スダジイをはじめ、タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、林床にはミヤマシキミの純群落が見られ約250種の植物があり、国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、貴重な存在とされております。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋]

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須須神社の基本情報

住所石川県珠洲市三崎町寺家4-2
行き方
アクセスを詳しく見る
名称須須神社
読み方すずじんじゃ
通称三崎権現、須須大明神
参拝時間

参拝/24時間

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

宝物館拝観料:大人300円 小、中学生以下無料

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0768-88-2772
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神天津日高彦穂瓊瓊杵尊
美穂須須美命
他3柱
ご神体山伏山
創建時代崇神天皇時代
創始者不詳
本殿三間社流造
文化財

造男神像(国指定重要文化財)

ご由緒

当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。国史「三代実録」によると、貞観(じょうがん)15年(873)8月4日従五位上の神階を賜わった、延喜式内の古社で、社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり足利時代は大宮司猿女(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領3千石が献納されており、天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、社領として神田5町歩(石高75石)を寄進し、武運長久の祈願をされております。古代より縁むすびの神として、世に知られており、この「むすび」とは、ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく生成化育、修理固成という日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)さまであります。また祭礼は珠洲一郡の総社として「お郡祭(こうりさい)」「御出御幸(おいでごこう)」と称し郡内巡行の祭儀が半月がかりで近年まで斎行されていました。奥宮鎮座地の山伏山(標高172メートル)は山容優美にして海上からの景観は、鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、原始時代から北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期(約1200年前)には海上警戒の設備を置き、烽火(のろし)(狼煙(のろし))が一たび、あがると郡家で受継ぎ国府、そして京の都へ伝達されたと云われている。元禄10年(1697)加賀藩へ出した大宮司書状によるとすでに奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、一夜に油1升、燈心布3尺をもちい、夜ごと大神に献燈し、北海暗夜、渡海船を守護し、この燈明堂が明治初年現在の禄剛崎灯台に進展したものです。本社社叢(もり)は千古の昔から神域として保護され、北部照葉樹林の、うっそうたる原生林をなし境内約一万坪には、スダジイをはじめ、タブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、林床にはミヤマシキミの純群落が見られ約250種の植物があり、国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、貴重な存在とされております。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋]

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印博物館お守り重要文化財祭り武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
須須神社(すずじんじゃ)は、石川県珠洲市にある神社。高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)が珠洲市三崎町寺家に、奥宮(おくみや)が珠洲市狼煙町に鎮座する。
歴史
歴史[編集] 社伝では崇神天皇の治世(紀元前97年 - 紀元前29年)に創建、天平勝宝年間(749年 - 756年)現地に移転したとされる。 延喜式神名帳では国幣小社。近代社格制度では県社に列せられる。 境内には3つの鳥居があるが、2023年(令和5年)5月の奥能登地震では第一鳥居(高さ約9メートル)が崩れ、8月から撤去工事が行われた[1][2]。 さらに、2024年(令和6年)の能登半島地震では地震と津波の影響で第二鳥居が倒壊し、第三鳥居にも亀裂が入る被害を受けた[2]。このほか2024年の能登半島地震では手水舎が全壊して、本殿の扉が歪んだほか、灯籠や狛犬も被害を受けた[2]。 ^...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通アクセス[編集] 車 のと里山海道穴水I.C.から東に珠洲道路を通り、ライスセンター前交差点から県道287号線を通って約1時間。 公共交通 金沢駅または穴水駅から北鉄奥能登バス運行の特急バス(珠洲特急線または珠洲宇出津特急線)に乗車、「すずなり館前」で、すずバス・狼煙飯田(海)ルートの「狼煙」行きに乗り継ぎ、「須須神社前」下車[1]。 ^ “須須神社”. 珠洲市 (2022年1月17日). 2024年1月12日閲覧。
引用元情報須須神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%A0%88%E9%A0%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98947827

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