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常光寺ではいただけません
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じょうこうじ|臨済宗妙心寺派天徳山

常光寺
兵庫県 神野駅

御朱印について
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巡礼

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播磨西国観音霊場(客番)

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2023年12月14日(木)
2030投稿

兵庫県加古川市にあるお寺です。
先日投稿した 寳塔寺から北東に車で2~3分の所にあります。
小学校の裏手の小山を削って開かれた境内です。
おそらくこの地は昔は山の斜面で 古墳だったのかも知れないなぁと思いました。
グーグルマップで見ると 何となく前方後円墳にも見えないこともないのです。
ちょうどその前方の方墳の場所です。
お参りしたこの日は ちょうどイベントの日だったようで 近くの広場にはキッチンカーが出てお祭り気分でした。
方丈では説法なのでしょうか 何人も人が集まり 語り合っているのかお話を聞いているのか とにかく声が聞こえました。
となると お寺の方に声をかけずらく 境内をぐるっと拝見し そそくさと退散してしまいました。
我ながらこの小心者かげんには困ったものです。
帰宅してから調べてみると なかなかにお宝をお持ちでした。
拝見できなかったのが本当に残念でした。
大燈国師筆 明顔暉筆達磨画像 守馬遠筆山水画 然可翁筆寒山捨得 白隠禅師筆山水画
山号は天徳山
宗旨宗派は臨済宗妙心寺派
ご本尊は十一面観世音菩薩
です。
由緒については
1336年(建武3年)足利尊氏が法燈国師より数えて4代目の別峯円光国師を奉じて開山した。
七堂伽藍 三重の宝塔を備え 大いに栄えたが その後 火災に遭い衰退した。
永正年間に赤松義村によって再興され 平原山祥光寺と号した。
天正年間 兵火のため焼失したが 永禄年間 賀古氏入道寿謙が再興のため当時の領主である池田輝政に願い出て 一宇の殿堂を建立して常光寺と号した。
1648年(慶安元年)赤松氏の後裔である南室禅師(1591-1671)が 姫路の慶雲寺より招請され 中興開山の祖とした。
この時 山号を「平原山」から「天徳山」に改めた。
間もなく 寺宇 仏像 寺宝などを焼失したが 万治年間 南室和尚により再建された。
その後 五世厳洞和尚 十二世鉄牛和尚が復興に力を尽くし 禅堂 部家 食堂などの諸堂が建設され 三十名門外の雲水の修行道場となった。
とありました。

常光寺(兵庫県)

山門

常光寺(兵庫県)

ここから境内 これは中門で良いのでしょうか

常光寺(兵庫県)

鐘楼

常光寺(兵庫県)

方丈

常光寺(兵庫県)

お稲荷さんの鳥居と手水舎

常光寺(兵庫県)

稲荷大明神

常光寺(兵庫県)

忠霊塔

常光寺の建物その他

庫裏

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四季
四季
2022年10月30日(日)
495投稿

常光寺(じょうこうじ)

~播磨西国観音霊場 客番・南室和尚入寂寺~

山号  天徳山
宗派  臨済宗妙心寺派
御本尊 十一面観世音菩薩
創建年 建武三(1336)年
開山  円光国師
中興年 慶安元(1648)年
中興  南室和尚

札所
播磨西国観音霊場 客番

御詠歌
ありがたや てんとくさんの
いただきに まつのまにまに
みゆるかんのん

播磨西国三十三箇所を定めた南室禅師匠入寂の御寺。
常光寺は、1336年(建武3年)足利尊氏が法燈国師より数えて四代目の別峯円光国師が「祥光寺」を開山されたのが縁起に。
七堂伽藍、三重の宝塔を備え、大いに栄えましたが、その後、火災に遭い衰退しました。
永正年間に赤松義村によって再興、平原山祥光寺と号しましたが兵火て再び炎上。

永禄年間、賀古氏入道寿謙が再興のため当時の領主である池田輝政公に願い出て、一宇の殿堂を建立して常光寺と号されました。
1648年(慶安元年)、赤松氏の後裔である南室禅師(1591-1671)が、姫路の慶雲寺より招請され、中興開山の祖とし、山号を天徳山に改められました。
間もなく、寺宇、仏像、寺宝などを焼失しましたが、万治年間、南室和尚により再建されました。
その後、五世厳洞和尚、十二世鉄牛和尚が復興に力を尽くし、禅堂、部家、食堂などの諸堂が建設され、三十名門外の雲水の修行道場となりました。

「天徳山」の山号を掲げた中門をくぐると、山門裏側の🐲龍🐲の彫刻が目に留まります。江戸初期に活躍した左甚五郎の弟子が彫ったと伝わる龍は、鋭い目つきで境内を睨み、今にも舞い上がりそうな勢いです。その先には十一面観世音菩薩を祀る御本堂があり、内部には33カ寺の御詠歌を刻んだ播磨西国の版木が大切に保管されています(非公開)。
御本堂を出て東にある山に登り、南室和尚の墓所で静に手を合わせました。

~播磨西国観音霊場 冊子より~

山門、中門、庫裏、鐘楼、方丈、稲荷神社、
南室禅師御墓 、方丈庭園、駕籠

少し離れた場所に
五輪塔
再興に尽くした赤松義村公の墓と伝えられます。
円光国師
赤松円心(1277~1350年)
播磨国佐用郡赤松村(現兵庫県赤穂郡上郡町)の地頭代官を本貫とする4代目。
名は則村(法名は法雲寺月潭円心)。

五輪塔は、五つの元素を形にしたもので、それぞれ上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と名前がついています。方、円、三角、半月、宝珠(ほうしゅ)形につくられました。人間の五体は五輪からなり(五輪五体)、大日如来と等しいとみなされて、密教の修行者たちは五輪成身観という観法(禅定(ぜんじょう)の一種)を修しました。

加古川市神野町神野332-1

常光寺の山門

中門

常光寺の山門

江戸初期に活躍した左甚五郎の弟子が彫ったと伝わる龍は、鋭い目つきで境内を睨み、今にも舞い上がりそうな勢いです

常光寺の本殿
常光寺の本殿
常光寺の本殿
常光寺の本殿

播磨西国観音霊場

南室和尚 願文

恭しく惟るに観音薩埵を順礼するの由来は、那智山順礼記に曰く、往昔徳道上人入滅の時閻家の老子に見え種々の功徳を讃嘆す、時に閻老徳道に告げて曰く、娑婆世界に於いて生身の観音三十三所の座、四重五逆ね人阿鼻地獄に堕す可きあるも、一度彼の宝前に参拝するの輩は無始よりの生死の罪を滅し九品の浄土に告げて生ず可きなり、此れは是れ諸善最上の功徳根本の法なり、今汝に付属す急ぎ本土に走り一切の衆生を教示すべし、然る後七日あり蘇生し来って普く世に伝ふ、乃ち本朝の西国順礼是れなり、知隣も亦其跡を追ふて謹んで上聞に達す、補陀を当国十六郡の内に尋ね、詠歌を西国三十三所の式に準ず、遮幾くは諸人一心に観世音菩薩を念して順礼恭敬し当に此の歌を唱え強いて能く順行唱歌礼拝供養せば、過現当来諸天擁護して悪を去り邪を駆し宅を鎮め国を安んずべし。故に経に云く、一切の功徳を具して慈眼をもって衆生を視福聚の海無量なり是の故に応に順礼すべし、誠なるかな此の言や、夫れ唱歌は古今の序に云ふ、天地を動かし鬼神を感ぜしめ人倫を化し夫婦を和すは和歌にしくはなし云々、其の読むや其の唄ふや其の悟りに到れば則ち一なり、願わくば此順礼の功を以て四恩に報い三有を済ひ、一切諸を衆生を皆な上品の蓮台に登らしめんことを

寛文五乙巳年(一六六五年)
     隣南室叟誌焉

常光寺の本殿
常光寺の像
常光寺の本殿
常光寺の本殿

すみません 畳が恋しくて♡

常光寺の山門

山門

常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門

中門

常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の山門
常光寺の建物その他
常光寺の本殿
常光寺の本殿
常光寺の本殿
常光寺の像
常光寺の像
常光寺の地蔵
常光寺の仏像
常光寺のお墓
常光寺の手水
常光寺の建物その他
常光寺の庭園
常光寺の御朱印

播磨西国観音霊場 客番 常光寺 
南室和尚入寂寺 御朱印

常光寺のお墓

山上には広大な墓所があります

度重なる不運や、兵火、またこの辺りは先の大戦でも戦場だったそうです

常光寺のお墓

南室禅師の墓所

常光寺の塔

少し離れた場所に 五輪塔

再興に尽くした赤松義村公の墓と伝えられます。

円光国師
赤松円心(1277~1350年)
播磨国佐用郡赤松村(現兵庫県赤穂郡上郡町)の地頭代官を本貫とする4代目。名は則村(法名は法雲寺月潭円心)。

常光寺の塔
常光寺のお墓
常光寺の塔

上から失礼します
ほんまに半月🌓です、、、

常光寺の塔

五輪塔は、五つの元素を形にしたもので、それぞれ上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と名前がついています。方、円、三角、半月、宝珠(ほうしゅ)形につくられました。人間の五体は五輪からなり(五輪五体)、大日如来と等しいとみなされて、密教の修行者たちは五輪成身観という観法(禅定(ぜんじょう)の一種)を修しました。

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常光寺の基本情報

住所兵庫県加古川市神野町神野332-1
行き方

JR山陽本線加古川駅から神姫バス 神野行き又は甲南加古川病院行きに乗車、「東神野バス停」下車 東南方向へ約200m

アクセスを詳しく見る
名称常光寺
読み方じょうこうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号079-438-8022
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巡礼の詳細情報

播磨西国三十三箇所

客番札所

御本尊:十一面観音

御詠歌:

ありがたや 天徳山の 頂に 松の間にまに 見ゆる観音

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号天徳山
宗旨・宗派臨済宗妙心寺派
創建時代1648年(慶安元年)
ご由緒

常光寺は、1336年(建武3年)足利尊氏が法燈国師より数えて4代目の別峯円光国師を奉じて開山した。七堂伽藍、三重の宝塔を備え、大いに栄えたが、その後、火災に遭い衰退した。永正年間に赤松義村によって再興され、平原山祥光寺と号した。天正年間、兵火のため焼失したが、永禄年間、賀古氏入道寿謙が再興のため当時の領主である池田輝政に願い出て、一宇の殿堂を建立して常光寺と号した。1648年(慶安元年)、赤松氏の後裔である南室禅師(1591(天正19年)- 1671(寛文11年))が、姫路の慶雲寺より招請され、中興開山の祖とした。この時、山号を「平原山」から「天徳山」に改めた。間もなく、寺宇、仏像、寺宝などを焼失したが、万治年間、南室和尚により再建された。その後、五世厳洞和尚、十二世鉄牛和尚が復興に力を尽くし、禅堂、部家、食堂などの諸堂が建設され、三十名門外の雲水の修行道場となった。

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