しかりわけじんじゃ
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盛岡市を出て、紫波町へ移動。車で30分位掛かりましたが、随分前に計画したので何故この地区を選らんだのか判りません。もう少し近場がなかったのかな?と後悔。何とか時間を作って冷麺が食べたい!と思いつつ車を走らせると神社へ入る小道脇に元宮があったので、そちらも参拝。現在の鎮座地の前ではないとの事でした。式内社としては最も北に位置することです。坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるとされていますので、本日最後に参拝する大宮神社と同時期になります。
別名赤石神社と云い、この地を治めていた高水寺城主の斯波詮直が近くを通りかかった時、北上川の川底に赤石があって水波が紫色に漂うので「けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」という歌を詠んだという。これに因んで郡名は「紫波郡」、社名は「赤石大明神」と称されたと伝わっています。歴史は古いのですが現在の社地は北上川水系治水事業に協力し、令和三年(1991)に遷座した地です。以前の写真を見ると社叢に囲まれ、歴史を感じられる古社でったことが伺えます。現在社叢を復活させるべくクラウドファンディングを立ち上げています。後何百年かしたら参拝したいが、残念ながらその頃は鬼籍に入っているでしょう。
昼時にもかかわらず対応していただき、ご丁寧な御朱印を戴きました。


【陸奥国式内百座】
所在地: 岩手県紫波郡紫波町桜町字本町川原1
主祭神:経津主神、武甕槌神、大己貴神、少彦名神、保食神、猿田彦神、船霊神
社 格:式内社(小)、旧県社
創 建:804年(延暦23年)
由 緒
編集
社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるという。
9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている。奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない。
#陸奥国式内百座
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