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遠江国式内社六二座、旧長上郡四座の内の一つ
「猪家神社」の論社に挙げられる由緒ある神社
で、彼の「伝説を撒き散らす大将軍」坂上田村
麻呂公が東制下向の折に、天竜川が洪水氾濫し
足止めされた際、地元の人々が筏を作り将軍を
渡したことに感謝し、水の神である「闇淤加美
神」を祀られたのが謂れとされています。
こちらには将軍に纏わる伝説の他にも、神社の
北側にある天竜川の深淵(椎ヶ淵)に、竜宮城が
あったという伝説も残っています。
浜松市民には馴染み深い、夏の風物詩「鹿島の
花火大会」の元々の起源は、この竜宮城に住ま
われる「椎河脇大龍王」を鎮め、天竜川が氾濫
しないようにと煙火を奉納した「椎ヶ脇神社祭
典奉納煙火」にあるのだそうです。
昔祖母の家が鹿島のすぐ近くにあったため、夏
休みにはよく「鹿島の花火」を見に来ました。
市内でも有数の規模でしたので、花火の豪華さ
も然ることながら、天竜川対岸の鳥羽山に反響
する「音」の迫力が強烈だったのを、よく憶え
ています。
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
郷社椎ヶ脇神社は《闇於賀美神・豊玉姫神》を斎き奉り合せて
天照皇大神・豊受大神・彌都波能売神を奉祀す。
天龍川の河畔なる鹿島の丘上に鎮座し給ふ。水利舟楫守護の大神として
古より神威灼然に明治5年公には郷社の列に加へられ郷民は更なり大方の
尊崇景仰を纏め給ふことまことに外所に超えたり。
延喜の制遠江国長下郡4座の内なる猪家神社は即ち此の御社に当れるゆえよし
既く有識の人の間に唱へられ公にも亦しか名されてそ今に至れる。
御社の名の古今と違へるは長き間の世の移ろい淵瀬も定めぬ河沿の地の名の変れるが
任に長下の郡は夙く合わられて旧き名となり猪家の称謂は河の名の鹿川の訓と会ひて
何時しか猪川と記され更に又椎川の文字にも替へられて竟には御社の御名も
椎ヶ明神椎ヶ脇明神などの称と共に今の御名をこそ称へ奉るに至れるなりけれ。
そゝり立つ神域の懸崖の下を流るゝ天龍の大河はそのかみ大天龍小天龍など
名も高く滝鳴る流れは濶く急く天つみそらの中川の称さへいみじく淵瀬定まらで
懸梁かくべくもあらず旅人どもが往くさ来さ身をば浮木の思して船渡りしたり
と伝ふるもゆゝしく一度河水の溢るれば逆巻き寄する激浪は堤塘を損ひ田畑を
浸し去りて其の耗も測り知られぬ慮の外なる例も稀々にてはあはれ郷民を挙り
所治むる職に皆一つ心に尊き大神の御徳を被り持ちて常に治水の謀を廻らし功績を
さめし心尽の蹤も今に著く崇ひ仕へ奉れる武家地頭等が内には神地寄せ奉り宮殿へ
琢きたて浅からぬ報賽の真心を捧げ奉れる事どもぞ世々の史には見えたる。
灼然なる神威の御光を仰ぎては河沿の郷々村々さては遠き近き数多所に大神の分霊斎き奉り
御社建て奉りて遠長に崇ひ奉れるら鮮からずなし。
今年皇紀2600年のめでたき歳を迎へ天地と栄ゆる大御代の御隆をこと
寿くなへに天の中川流れ絶えせず永久に幸へ給ふ高き尊き大神の御徳を称へ奉り広き
洽き御恵の露を被り来にし世々の御跡の縁の條々をかつかつにも記し叙て、
今を見し後の記念と是を碑に彫り留めつるになり。
写真












椎ケ脇神社の情報
| 住所 | 静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島1-14 |
|---|---|
| 行き方 |
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椎ケ脇神社の基本情報
| 名称 | 椎ケ脇神社 |
|---|---|
| 読み方 | しいがわきじんしゃ |
| 御朱印 | あり 印影がとても大きい(2頁に跨る)ので自然に見開きになる御朱印との事。 |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》闇淤加美命,豊玉比売神 |
|---|---|
| 創建時代 | 801年(延暦20年) |
| 本殿 | 神明造柿葺 |
| 文化財 | 大久保彦左衛門の詫び状 |
| ご由緒 | 郷社椎ヶ脇神社は《闇於賀美神・豊玉姫神》を斎き奉り合せて
|
| 体験 |
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