こまつなぎじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 3台あり |
おすすめの投稿
東急花御朱印2〜世田谷区下馬にある駒繋神社に参拝。前九年の役の際、源義家が戦勝を祈願した。源頼朝が奥州藤原氏征伐の折、参拝。ここで馬を降りて馬(駒)を木に繋いだ〜これが駒繋神社の名前の由来。これら源氏ゆかりの神社である。
東急花御朱印書置きでいただきました。今梅の印を捺しているが、桜が咲いたら桜に変える予定とのことだった。
駒繋神社〜一の鳥居と赤い神橋
駒繋神社〜提灯🏮
駒繋神社〜東急花御朱印・現在梅の印だが桜の花が咲けば桜に変えるそうです
駒繋神社〜社殿
駒繋神社〜狛犬・阿像
駒繋神社〜狛犬・吽像 仔犬も一緒
歴史
当社は、今から約九百五十年程昔、平安時代後期、御冷泉天皇の天喜四年(1056)四月に源義家公が父頼義公と共に朝廷の命をうけ奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、この地を通過する際に子の神(当社)に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより以前に出雲大社の御分霊を勧請し守護神としてお祀りされたと考えられます。
その後文治五年七月(1189)源頼朝公が奥州の藤原泰衡征伐のため、自ら大軍を率いて鎌倉を発しこの地に至った時に、往時義家公が子の神(当社)に参拝したことを回想し、愛馬より下りて駒(馬)を境内の松に繫いで戦勝を祈願したと言われており、この故事により「子の神」が「駒繫神社」とも呼ばれるようになり、明治以降に正式に「駒繫神社」と称せられるようになりました。
また、新編武蔵風土記には「子の神の境内は五反(1500坪)下馬引澤の内小名、子の神丸にありその所の鎮守なり、此社の鎮座の年歴を詳らかにせず、本社九尺に二間、拝殿二間に三間社地の入口に柱間八尺の鳥居を建てこれより石段二十五を経て社前に至る。又本社の未の方(南南西)にも同じ鳥居一基を建てる。」と記されており、当時の神社の境内の様子を知ることが出来ます。
当社の創立の年代は定かではありませんが、源義家公が前九年の役に際し、当社にて戦勝祈願された故事を鎮座の起源として、昭和三十二年に鎮座九百年式年大祭、平成十九年に鎮座九百五十年式年大祭が、それぞれ盛大に斎行されました。
現在氏子地域は下馬一丁目から六丁目であり、下馬に住む人々憩いの場、鎮守の杜として、この町をお護りしております。
駒繋神社の基本情報
住所 | 東京都世田谷区下馬4-27-26 |
---|---|
行き方 | ・渋谷駅より、東急バス渋32~34に乗車
・東急東横線 「祐天寺駅」西口から徒歩15分 ・東急田園都市線「三軒茶屋駅」から徒歩20分 |
名称 | 駒繋神社 |
---|---|
読み方 | こまつなぎじんじゃ |
通称 | 子の明神 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ホームページ | http://www.komatunagi.jp/ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大国主命 |
---|---|
ご由緒 | 当社は、今から約九百五十年程昔、平安時代後期、御冷泉天皇の天喜四年(1056)四月に源義家公が父頼義公と共に朝廷の命をうけ奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、この地を通過する際に子の神(当社)に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより以前に出雲大社の御分霊を勧請し守護神としてお祀りされたと考えられます。
|
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
6
0