しんこうじ
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楽しみ方真光寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2026年04月05日(日) 00時23分42秒
参拝:2026年3月吉日
真光寺は神戸市兵庫区にあるお寺です。
兵庫区は一遍上人臨終の地でもあり 時宗のお寺も複数あります。
こちら真光寺には一遍上人の御廟があります。
境内には 本殿の他に観音堂があります。
こちらの観音様は 漁師が和田岬の海底から引上げた観音様だそうです。
奈良時代から平安時代には 漁師が海から観音様を引き上げる話 けっこう聞きますね。
本堂では読経の声が聞こえ どうやら法要が行われているようでしたので 少し離れた場所で合掌しました。
境内案内図通り 六地蔵と無縁如来塔を見て 御廟に向かいました。
一般の墓所のお隣にありました。
さすが一遍上人様ですね 広い敷地に見事な廟があります。
境内には他にも 石の亀や平清盛公御膳水の井戸もあります。
心を落ち着かせることのできる参拝ができました。
ネット情報です。
山号は西月山
宗派は時宗
ご本尊は阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩
創建年は仁明天皇(833年 - 850年)
開基は恵萼
中興年は建治2年(1276年)
中興は一遍上人
札所は福原西国三十三観音霊場第33番札所・清盛七弁天 真野弁天
仁明天皇(833年 - 850年)のころ 恵萼が唐より観世音を持ち帰り 和田岬で船が動かなくなったので 堂を建てて祀ったのが始まりという。
建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。
正応2年(1289年)8月23日 一遍上人51歳で遷化。
遊行2世他阿上人が寺を建て 伏見天皇から真光寺の名を賜り 時宗の寺となる。寺伝によると 赤松則村(円心)が境内8町四方 寺領数百を寄進とある。
応安2年(1369年) 第6世尊観法親王が本山鎌倉遊行寺の遊行上人となり 以後本山遊行上人の兼帯となる。
慶長年間(1596年 - 1614年)除地の黒印を得 「大道場屋敷分事」として仏堂・僧堂など34とある。
元禄5年(1692年)の届書には大徳院・法林院・慶重院・善長庵・乾寮・竜蔵庵・陽徳院・常徳院・養生庵などの塔頭を記録している。
天明8年(1788年)の記録によれば 塔頭には陽徳院・宝積院・修善院・西北院・聖徳院があった。
明治28年(1895年)12月23日 山階宮晃親王より染筆の扁額二葉を下賜された。
昭和20年(1945年)の神戸大空襲で全伽藍を焼失。清盛七弁天の真野弁天は大日堂にあったという。
一遍上人の遺体は 敬慕する沙弥教信のように野に捨てて獣に施せとの一遍の遺言でしたが 在地の人々の結縁により観音堂前の松の根元で荼毘に付し 廟を設けたとのことです。
兵庫区は一遍上人臨終の地でもあり 時宗のお寺も複数あります。
こちら真光寺には一遍上人の御廟があります。
境内には 本殿の他に観音堂があります。
こちらの観音様は 漁師が和田岬の海底から引上げた観音様だそうです。
奈良時代から平安時代には 漁師が海から観音様を引き上げる話 けっこう聞きますね。
本堂では読経の声が聞こえ どうやら法要が行われているようでしたので 少し離れた場所で合掌しました。
境内案内図通り 六地蔵と無縁如来塔を見て 御廟に向かいました。
一般の墓所のお隣にありました。
さすが一遍上人様ですね 広い敷地に見事な廟があります。
境内には他にも 石の亀や平清盛公御膳水の井戸もあります。
心を落ち着かせることのできる参拝ができました。
ネット情報です。
山号は西月山
宗派は時宗
ご本尊は阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩
創建年は仁明天皇(833年 - 850年)
開基は恵萼
中興年は建治2年(1276年)
中興は一遍上人
札所は福原西国三十三観音霊場第33番札所・清盛七弁天 真野弁天
仁明天皇(833年 - 850年)のころ 恵萼が唐より観世音を持ち帰り 和田岬で船が動かなくなったので 堂を建てて祀ったのが始まりという。
建治2年(1276年)一遍上人がこの観音堂に住して中興開祖となる。
正応2年(1289年)8月23日 一遍上人51歳で遷化。
遊行2世他阿上人が寺を建て 伏見天皇から真光寺の名を賜り 時宗の寺となる。寺伝によると 赤松則村(円心)が境内8町四方 寺領数百を寄進とある。
応安2年(1369年) 第6世尊観法親王が本山鎌倉遊行寺の遊行上人となり 以後本山遊行上人の兼帯となる。
慶長年間(1596年 - 1614年)除地の黒印を得 「大道場屋敷分事」として仏堂・僧堂など34とある。
元禄5年(1692年)の届書には大徳院・法林院・慶重院・善長庵・乾寮・竜蔵庵・陽徳院・常徳院・養生庵などの塔頭を記録している。
天明8年(1788年)の記録によれば 塔頭には陽徳院・宝積院・修善院・西北院・聖徳院があった。
明治28年(1895年)12月23日 山階宮晃親王より染筆の扁額二葉を下賜された。
昭和20年(1945年)の神戸大空襲で全伽藍を焼失。清盛七弁天の真野弁天は大日堂にあったという。
一遍上人の遺体は 敬慕する沙弥教信のように野に捨てて獣に施せとの一遍の遺言でしたが 在地の人々の結縁により観音堂前の松の根元で荼毘に付し 廟を設けたとのことです。

山門はありません

大檀林は山号ではありません 僧侶の養成機関の意味です

一遍上人示寂之地 の石柱

寺号標

時宗 檀林

鐘楼

境内社 熊野権現社

由緒書

観音堂

扁額

内陣

今はなき真野弁財天について

本堂

六地蔵

無縁如来塔

一遍上人廟所の由緒

廟所の入口

一遍上人廟所

平清盛公 御膳水の井戸

説明

真光寺亀

説明

清盛七辨天について

兵庫七福神について
すてき
投稿者のプロフィール

くるくるきよせん3364投稿
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