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日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)の日常(21回目)山梨県塩之沢駅

【涙腺崩壊】身延山久遠寺の知られざる果報話

投稿日:2020年07月04日(土)
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https://youtu.be/MRpssezEJu4

読むのが面倒な方は動画をご覧下さいm(__)m

みなさんこんばんは!



身延山久遠寺という日蓮宗の総本山のお寺がありますが、


そのお寺には本堂まで続く石段があります。



いまでこそ参拝者は何気なくこの石段を登っていますが、


実はある男の心温まるストーリーがこの石段には隠されていました。



今日はその話を3つに分けてしたいと思います。

【1、佐渡ケ島の仁蔵と母の願い】


話は新潟の佐渡ヶ島から始まります。



なぜ佐渡ヶ島から始まるかと申しますと、佐渡島はというのは、



1271年~1274年にかけて日蓮上人が流罪された場所で、




日蓮上人のゆかりの地です。



多くの島の言い伝えによると、



日蓮上人がその島流しにあったときには法華経の教えを島人が求め、



多くの人が熱心な日蓮宗宗徒となりました。




そんな中、日蓮宗宗徒の母をもつ仁蔵という漁師がいました。




彼のお母さんには身延山久遠寺にお参りしたいという願いがありました。





昔のことですから、車も電車もありません。

長い旅路でしたが、海を越え、山を越えついに身延山へとたどり着いきました。





のちに彼女は佐渡ヶ島で亡くなりましたが、



仁蔵は身延山にいったときの母のある言葉が忘れられませんでした。


それは久遠寺と日蓮上人のお墓へと続く険しい坂道を登っているときのことで、



仁蔵の母はこういいました。



「もし石段がここにあれば、お寺に参拝する人々がどんなに助かることだろうか」と




このとき、仁蔵は母の願いを叶えようと決心しました。


数年後、仁蔵は一生懸命漁師の仕事をして、



ついに石段を建設できるほどのお金を蓄えました。



そして、そのお金持ちを寄付をするため身延山に向かいました。


【2、鰍沢町の異変と仁蔵の決断】


その途中の鰍沢町という町に滞在しました。



この町には以前母と一緒に身延山に来たときも尋ねたのですが、そのときとはずいぶん様子変わってしまっていました。



道には人っ子一人おらず、活気もなく町全体がどんよりした雰囲気に包まれていました。




泊まった宿屋の主人に訳を尋ねると、鰍沢全域で深刻な飢饉があったらしく、




大勢のひとが餓死しており、その死体を掃除する余裕もないとのことでした。




その悲惨な状況を聞き、仁蔵は心のなかで「この町の人々は飢饉に苦しんでいる。



もし、自分がこのことを無視すれば、だれも生き残れないだろう。



自分がまた一生懸命働けばお金はまた貯められる。



だけど、飢饉は今まさに起きている問題だ。


飢饉から人々を助けることは、石段を建設することよりも優先されるに違いない。




法華経というお経にも人々を苦しみから救うことが説かれている。




日蓮上人もきっと許して下さるだろう。」と彼は有金をすべて鰍沢の人々に寄付し、


佐渡ヶ島に帰っていきました。

【3、果報の先に、、、、】


それからというもの仁蔵は、ますます一生懸命働き、



魚を捕りに早朝から出かけ、夜遅くに帰るという生活を送っていました。



そんなある日のことです。



いつものように船を出すと、山の頂上に光を放つ物体を見つけました。



近づいてみるとなんとそれは黄金の一角で、


佐渡ヶ島における初めての金鉱だったのです。



彼は領主から褒美として莫大な きん が与えられ、


寄付をするため急いで身延山に向かいました。


そして道の途中、鰍沢町を訪れ、前回と同じ宿に泊まりました。


宿屋の主人は仁蔵の顔をまじまじと見つめ尋ねました。


「急に声をかけてすいません。だけどあなたは全財産をはたいて私たちを飢饉から救ってくれた方ではありませんか?」



仁蔵は自分がしたことに対して見返りを求めたくありませんでしたが、彼は笑顔でうなずきました。





するとたちまち、宿の主人は喜んで叫びました。「ここに生き仏が帰ってきたぞ。この人が鰍沢を飢饉から救った方だ!」




町人たちは宿に集まり、次から次へと涙して、



彼に感謝を伝えました。



そして、町人たちはもらったお金が身延山の石段を建築するために使われるお金だったことを知ると



、みんな石段を建てる手伝いを懇願しました。



石段の建設が始まると、鰍沢の人々は身延山に集まり、



それを見ていたほかの参拝者もお金を寄付し、建設を助けました。



そして、その1632年、予定より早く石段が完成を迎えました。




その石段は悟りへの階段という意味で菩提梯と名付けられ、


現在も人々を身延山久遠寺へと導いています。



現代は、お金さえあればいい 自分さえよければいいといった時代ですが、


こういった人情話こそ現在お坊さんが話すべきではないかなと思いとお伝えしました。


ぜひ身延山久遠寺にお参りする際は、今日の話を思い出していただければと嬉しいです。
日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)(山梨県)

すてき

みんなのコメント2件)

いいお話ですね!
身延山久遠寺には2回お参りに行きましたが、長いばかりで大変な階段だと思っていました。
今度行く機会があれば、このお話を思い出しながら石段を見たいと思います(^^)

2020年09月20日(日)

そうでしたか!

ぜひまた身延山にいらっしゃったときには、仁蔵さんのこと思い出して登ってみて下さい(^-^)

2020年09月20日(日)
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