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日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)の日常(39回目)山梨県塩之沢駅

【成田山新勝寺】が日本一になった理由とその戦略。

投稿日:2020年10月19日(月)
【今日の動画はこちらから!】

https://youtu.be/AA5K61xvpFk

こんばんは✨

定林坊副住職のもっちーです!

最近忙しくて、なかなかyoutubeを更新できませんでしたが、

今日は成田山新勝寺のお話をさせて、頂きました。

他宗派ですが、僕は大好きで

門前町もバラエティー豊かな上に活気があり、お寺と一体となっている様子や


柔軟で時代に即した布教方法は


まさにお寺が目指すべき本来のありかた体現しているようなお寺であります。


成田山新勝寺は

 

千葉県成田市にある真言宗智山派のご寺院さまで、


なんと2007年のデータによると


、参拝者の数が290万人で全国参拝者数ランキング堂々の1位



、神社を含めても明治神宮に次ぐ第2位を誇る超大型寺院です

 

私も実際に行ってみたのですが、驚いたことがあります。



最寄りの成田駅から


新勝寺の入り口の門までみなさんどれくらいかかるか検討つきますか?

 

ググるった時ちょっと驚いたのですが、なんと徒歩で約30分もかかるんです。

 

この所要時間をみて、

一瞬いこうか躊躇ってしまったのですが、行ってみたらビックリ。

 

おしゃれなお土産屋さんはあるは、お肉が食べれるバルがあるは、


かとおもえば老舗のウナギ屋さんが

あったりして、とにかくバラエティー豊かで30分飽きずに、


楽しみながら歩くことができる門前町でした。

 

今でこそ大きな伽藍と賑わいのある門前町が特徴的な成田山ですが、


17世紀末までは地方の一寺院に過ぎない小さなお寺でした。 

 

今日はその小さかった成田山がどのようにして現在の規模まで



成長したのかその背景とその過程を掻い摘んでお話したいと思います。

 

成田山の始まりは平安時代。自ら新皇と名乗り朝廷をひっくりかえさんとした平将門の乱の平定を祈願するため、


京都の神護寺(じんごじ)から不動明王借りて、


千葉県で祈祷したことがきっかけです。


乱は無事平定されましたが、


不動明王がこの千葉から離れたくないとせがみ、


住み着いたのが今の成田山の始まりです。

ですから昔からお不動さんの賃貸料があるらしく、昔は100円でしたが、


それではあまりのも安すぎるということで今は一万円になっているそうです。




それから時代が過ぎ、時は江戸時代。



この時代を境に成田山は急激な成長をみせます。


まずその成長背景として、


江戸時代になり庶民が積極的に旅行をするようになったことが挙げられます。


理由は二つ。

一つ目は単純に戦乱の世が修まり、



人々が安全に旅行できる時代なったからということです。



各地で戦ばかりでは、安心して旅行なんてしていられません。



そんな時代にピリオドを打ったのが江戸時代でした。



そして二つ目が重要なのですが、寛永八年に新寺建立禁止令が出され、



「本末帳」の提出が幕府より命じられたことでした。




要するに今まで通りお寺に好き放題させていたら統治しずらいので、

新しくお寺を建てることを禁止

、現状で、どのお寺程度あるのかを集計をとったということです。



この「本末帳」に名前が載っているかで、檀家がもてるかどうか決まってしましました。



つまり、寛永8年以降に建てられたお寺は檀家をもつことができないので、外部から信者さんを見つけなければなりませんでした。



そういったお寺はいきなり崖っぷちの状態です。



そういったことで派手な宣伝を仕掛け、他地域から参拝者をふやしていくことが江戸時代のお寺を運営していくための必須条件でした。



こうした状況も相まってお寺側としても旅行ブームに火をつけなくてはならない事情を抱えていました。



江戸時代の宣伝の仕方としては様々なものがありますが、その中でも「出開帳」をきっかけに大きくなっていったのが成田山です。



出開帳とは、お寺に祀られている仏像を移動させ、他の地域で公開することで、


お寺の名前を宣伝するとともに収益を得るというものです。



この開帳による収入は大きく、安政2年の成田山の収入は80,000両に上りました。


当時の秋田藩の収入が50,000両だったことからも、その経済力の凄さが伺えます。


またいまの市川海老蔵まで続く、初代市川團十郎も成田山に帰依し、



不動明王が登場する歌舞伎も演じられ、成田山人気を加速させたのでした。


このようにして、徐々に時代とともに布教方法を対応させ、


成田山はいまの規模まで成長していったのでした。



ちなみに成田山にいくと、この徐々に大きく歴史を生でみることができます。


というのも、


お寺がまだ小さかった頃の初代の本堂から2代、3代現在の4代目までのすべての本堂が現存しており、


間近でその成長の過程をみることができます。


成田山にいくことで、


またインドのお釈迦様が悟れたときの仏教とは違った、


時代に応じて順応していく日本仏教独自のたくましさみたいなものがみて



ぜひ新勝寺にご参拝されたときには、今日の話を思い出してみてください。



日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)(山梨県)
四代目本堂
日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)(山梨県)
三代目本堂
日蓮宗 総本山 塔頭 定林坊(じょうりんぼう)(山梨県)
二代目本堂

すてき

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