ためともじんじゃ
為朝神社のお参りの記録一覧
甲斐・諏訪神社巡り⑥為朝神社は、武田信義が元暦元年(1185年)に社殿を建立した源為朝を祀った神社です。その後、文化13年(1816年)に源氏の直系である深沢文兵衛源直房等が、その衰退を憂い再興したとされています。為朝は強弓の名手で鎮西八郎為朝とも呼ばれ、義経が八男であったにもかかわらず、為朝に憚り九郎と名乗ったとされる。(この辺の話は大河ドラマでも紹介されているかな)
武田八幡宮の参拝を終え、そのまま山道を50メートルほど進んだ位置に鎮座しています。武田八幡宮の境内摂社か境外摂社か確かではりません。途中「熊出没注意」の看板に少しおびえながら、大きな声で言取りごとを言いながら参拝しました。社殿の中にユーモラスな為朝像が安置されていました。御朱印は武田八幡宮の社務所にて用意されていた書置きの御朱印を戴きました。
武田八幡宮より山道を少し進むと熊に注意の看板、春先は危ないかも
由緒書
為朝神社
為朝像 天保12年(1841)作
【甲斐國 古社巡り】
為朝神社(ためとも~)は、山梨県韮崎市神山町北宮地にある武田八幡宮の末社。祭神は、源為朝公。
創建は、平安時代末期の1185年、武田信義が源為朝を祀るために社殿を建立したことに始まる。源為朝は1156年に伊豆大島に島流しにされたが、その後に鬼二匹を従え武田信義の元に身を寄せ「武田為朝」と名乗ったという伝説があるとのこと。その後江戸時代後期の1816年に源氏直系である深沢文兵衛源直房等が、その衰退を憂いて復興したとされている。なお、社殿内で所蔵している源為朝像は、江戸時代末期1841年の作。
当社は、JR中央本線・韮崎駅の西方3kmの山の中腹にある武田八幡宮の社殿南側100mの山中にある。境内に玉垣などの境界はないが、小さな広場に覆屋が1つあるのみ。覆屋の中には、一間社流造の社殿と源為朝像が収められている。社殿は繊細な彫刻が施されている。180年前に造られた為朝像も見どころ。
今回は、武田八幡宮を参拝していた時に、その境内社かと思い参拝した。参拝時は休日の午後で、武田八幡宮を参拝した人の半分ぐらいの人が当社にも参拝しているようだった。
※御朱印は武田八幡宮の社務所で書置きにて拝受できる(自分は拝受せず)。
武田八幡宮の境内東端入口からスタート。隋神門の背後を登って行く。
こちらが武田八幡宮の拝殿と本殿。本殿は国指定の重要文化財。
武田八幡宮の社殿の左側に、為朝神社への通路があるので、クマに注意しながらこちらを進む。
100mほど進んだ小高い場所に建物が見えてくる。本当にこれかな?(^_^;)
あまり神社らしくない、想像以上に新しい建物。
こちらが<為朝神社>。正面から見ると、珍しいアシンメトリーの建物。
建物の左側を覗き込むと、凝った彫刻が施された<社殿>。
建物の右側を覗き込むと、江戸時代末期1841年作の大きな<源為朝像>。デカい!(^▽^)/
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