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だいぜんじ|真言宗智山派柏尾山

大善寺のお参りの記録一覧
山梨県 勝沼ぶどう郷駅

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惣一郎
惣一郎
2022年04月15日(金)1269投稿

【甲斐国 古刹巡り】

大善寺(だいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある真言宗智山派の寺院。山号は柏尾山。正式名称は「柏尾山鎮護国家大善寺」。本尊は薬師如来。甲斐百八霊場第十八番。別称は「ぶどう寺」。本堂(薬師堂)と厨子は国宝、薬師如来及び両脇侍像、日光・月光菩薩像、十二神将像は国指定の重要文化財。

創建は不詳。寺伝によると、奈良時代の718年に僧・行基が日川渓谷岩上で霊夢により感得され、薬師三尊像(片手に葡萄を持ち、片手で結印した薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)を刻み安置して開創。聖武天皇の御代には鎮護国家の勅額と寺山号を賜り、五十二堂三千房を数える隆盛をみた。往時の堂宇は平安初期に焼失したが、971年に三枝守国が再建、以後平清盛、源頼朝の寺領寄進や堂塔修復、北条貞時による薬師堂再建、仏師・蓮慶の日光・月光菩薩、十二神将増の政策、武田信春の厨子寄進など、時の為政者と大衆から信仰された。

当寺は、JR中央本線・勝沼ぶどう郷駅の南方2km弱の、人里離れた小山の裾野付近の斜面にある。目の前には甲州街道(国道20号線)が通っていてアクセスは良好。有料の駐車場付近に納経所・寺務所があるが、少し離れた場所に大きな仁王門、参道(階段)、薬師堂(本堂)が標高差をもって一列に並んでいる。やはり一番の見どころは、鎌倉時代に建てられた国宝の薬師堂。寄棟造、檜皮葺で、方五間の大きな建物は、圧倒的なオーラを放っている。本堂周りからの甲府盆地の景色もよく、有料拝観でも家族連れなどの観光客が多いのもうなずける。

今回は、本堂が国宝、薬師三尊像などが国重文ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分たち以外にも何組かの家族連れなどが参拝に訪れていた。

大善寺(山梨県)

甲州街道の道の反対側から見た境内全景。

大善寺の山門・神門

階段を上がると、大きな<山門(楼門)>。江戸時代中期の1704年建立。

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千葉ココア
千葉ココア
2021年06月20日(日)144投稿

令和03年06月19日

西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
車での訪問でしたが、参拝受付後に駐車場の入場チケットを頂けるという初めてのシステム。
知らなかったので戸惑いました^^;
やはり、武田家ゆかりの寺社が多いですね。。。

※公式ホームページより※
http://daizenji.org
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月11日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡しました。
その一部始終を目撃した理慶尼が記した「理慶尼記」は「武田滅亡記」ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に保管されています。
勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されています。

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