だいぜんじ|真言宗智山派|柏尾山
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楽しみ方大善寺のお参りの記録一覧
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本日5件目。
本当は、御朱印を貰えなかったお寺にここの前に3件ほど訪問しました。
御朱印に出会えるのも運命かと思っているのでOKです。
今日は、塩山だけをターゲットにしてたんですけど、前3件にフラれたので甲州市に足を伸ばしました。
見どころ満載のお寺でした。
薬師堂まで私にはキツい階段がありましたけど、厳かな雰囲気の場所でした。
拝観もして仏像も近くで見て説明してくれる方もいて、仏像の裏側に色々な資料みたいなのもあったり新撰組の斎藤一とかも縁があるんですかね。
時間が無くて庭園は見れなかったんですけど、次はみたいですね。
駐車場に入る時に、まず車を降りて受付で駐車券を買うんですよ。
そういうシステムなのに、後ろから車来るとあせりますね。
今の時期藤の花が咲いているところが多かったです。
ちょっと時期がずれて枯れ始めてましたけど。
書き忘れてました。
薬師堂は、「逃げ恥」のドラマで使われた場所みたいです。
お堂に書いてありました。
ドラマ見てないので、分からないですけど
縁結びな神様かもしれないですね

【甲斐国 古刹巡り】
大善寺(だいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある真言宗智山派の寺院。山号は柏尾山。正式名称は「柏尾山鎮護国家大善寺」。本尊は薬師如来。甲斐百八霊場第十八番。別称は「ぶどう寺」。本堂(薬師堂)と厨子は国宝、薬師如来及び両脇侍像、日光・月光菩薩像、十二神将像は国指定の重要文化財。
創建は不詳。寺伝によると、奈良時代の718年に僧・行基が日川渓谷岩上で霊夢により感得され、薬師三尊像(片手に葡萄を持ち、片手で結印した薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)を刻み安置して開創。聖武天皇の御代には鎮護国家の勅額と寺山号を賜り、五十二堂三千房を数える隆盛をみた。往時の堂宇は平安初期に焼失したが、971年に三枝守国が再建、以後平清盛、源頼朝の寺領寄進や堂塔修復、北条貞時による薬師堂再建、仏師・蓮慶の日光・月光菩薩、十二神将増の政策、武田信春の厨子寄進など、時の為政者と大衆から信仰された。
当寺は、JR中央本線・勝沼ぶどう郷駅の南方2km弱の、人里離れた小山の裾野付近の斜面にある。目の前には甲州街道(国道20号線)が通っていてアクセスは良好。有料の駐車場付近に納経所・寺務所があるが、少し離れた場所に大きな仁王門、参道(階段)、薬師堂(本堂)が標高差をもって一列に並んでいる。やはり一番の見どころは、鎌倉時代に建てられた国宝の薬師堂。寄棟造、檜皮葺で、方五間の大きな建物は、圧倒的なオーラを放っている。本堂周りからの甲府盆地の景色もよく、有料拝観でも家族連れなどの観光客が多いのもうなずける。
今回は、本堂が国宝、薬師三尊像などが国重文ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分たち以外にも何組かの家族連れなどが参拝に訪れていた。
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奈良時代の始め、718年。甲斐の国、勝沼の地に僧の行基(ぎょうき)がやって来て、渓谷の石の上で修行したところ、夢にブドウを手にした薬師如来が現れました。それを喜んだ行基がその姿を刻んで安置したのが、大善寺の始まりと伝えられています。
その後行基はブトウを薬として栽培し、薬園を作って村人たちを救いました。これが元で、甲州地方にブドウ栽培が広まったとされています。
本堂は、鎌倉時代後期、1286年の建築。建築年代がわかっている建物としては、山梨県で最古です。大きさは1辺が24mの正方形と大型で、檜皮葺の流麗な線と合わせ、落ち着きと力強さをよく表しているとされています。昭和29年(1954年)に大規模な解体復元補修が行われ、翌年の昭和30年(1955年)、国宝に指定されました。
本堂の中には厨子があり、その中に薬師三尊像が安置されているので、薬師堂とも呼ばれます。そのうちの一体、本像の薬師如来像は、平成に入ってから、寺の伝承に従い、左手のブドウが復元されました。秘仏として納められており普段は非公開ですが、5年に一度、特別に一般公開されます。

令和03年06月19日
西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
車での訪問でしたが、参拝受付後に駐車場の入場チケットを頂けるという初めてのシステム。
知らなかったので戸惑いました^^;
やはり、武田家ゆかりの寺社が多いですね。。。
※公式ホームページより※
http://daizenji.org
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月11日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡しました。
その一部始終を目撃した理慶尼が記した「理慶尼記」は「武田滅亡記」ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に保管されています。
勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されています。

ここの境内の雰囲気お気に入りの場所です😊
昨年干支(えと)の1番目である子(ね)年を迎えたのを機に、干支にちなんだ通年御朱印の授与が始まりました。
大善寺には本尊の薬師如来像の両脇に十二神将像(国指定重要文化財)が並び十二神将は薬師如来を守護する12の武神で、それぞれに干支が割り当てられています。
本堂の中に入って参拝させていただけます。
大善寺の場合、子年の十二神将は「宮毘羅(くびら)大将」で、今年の丑(うし)年は「伐折羅(ばさら)大将」、来年の寅(とら)年は「迷企羅(めきら)大将」…と続き、令和13年の亥(い)年に「毘羯羅(びから)大将」でシリーズが一回りする。
頑張って12年通う事も目標です😆
御朱印帳が令和3年バージョンの新作が出てたので購入してきました🤗
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甲州百八霊場第18番札所。
以前にも一度お参りしたことはありましたが、御朱印を頂きはじめてからは初めてのお参りです。本堂の薬師如来は秘仏なので普段は見られませんが、その下の十二神将像も見応えがあります。広々とした境内もきれいです。
御朱印は甲州百八霊場の薬師如来の御朱印と、これから12年間年代わりで出されるという十二神将像の子年の宮毘羅大将の御朱印を、本当に滑り込みで頂いてきました。授与所には丑年の伐折羅大将の御朱印もあったので、もう頂けるのか尋ねてみたところ、本来は1月1日からなのだけれど、コロナ対応で授与されているとのことだったのですが、せっかくなので改めて花の綺麗な季節にお参りすることにします。
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今年から始まった十二神将シリーズ、今年中に宮毘羅大将を頂かないと次頂けるのは12年後のため慌てて訪問しました。
初めて訪問しましたが拝観料500円が駐車券を兼ねており、駐車券でゲートをくぐる形式となっています。
御朱印は拝観料を支払う窓口で予め帳面をお渡しし帰りに受け取る形式です。
客殿と本殿が分かれており、客殿には甲州東郡(あずまごおり)七福神の弁財天、並びに県指定文化財である庭園を拝観することが出来ます。
客殿横の長い階段を登っていくと本殿が有り、拝観券の半券を渡して中に入ることが出来ます。
数々の歴史的文化物が残されていて長い歴史を感じさせてくれるお寺でした。
本堂内で御朱印を御住職にお願いしている方がいたため、御住職に直接書いて頂けるいい機会だと思って私もお願いしましたが、手がかじかんで下の受付でもらってくれとのこと。
なんだかなぁ。
追伸
御朱印帳、ココでは載っていない大判のものがありました。新作かな。




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