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だいぜんじ|真言宗智山派柏尾山

大善寺へのアクセス・駐車場
山梨県 勝沼ぶどう郷駅

住所山梨県甲州市勝沼町勝沼3565
行き方

JR中央本線「勝沼ぶどう郷駅」よりタクシーで5分

駐車場

無料駐車場あり(普通車40台・観光バス3台)

近くの駅

◼︎JR中央本線
勝沼ぶどう郷駅から直線約1.76km
徒歩約42分
車で約8分
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◼︎JR中央本線
甲斐大和駅から直線約3.96km
徒歩約1時間35分
車で約19分
Googleマップでルートを確認



◼︎JR中央本線
塩山駅から直線約5.43km
徒歩約2時間10分
車で約27分
Googleマップでルートを確認



最寄駅ではなく、直線距離で最も近い駅を目安として表示しています。
Googleマップ等で出発地からのアクセスをご確認ください。
情報提供: HeartRails Express
参拝時間

4月〜11月:9:00〜16:30(最終受付16:00)/12月〜3月:9:00〜16:00(最終受付15:30)

参拝にかかる時間

大人500円、小中高生300円 ※特別拝観:拝観料+300円(お抹茶orグラスワインorぶどうジュース)

電話番号0553-44-0027
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://daizenji.org

駐車場に関する投稿

千葉ココア
千葉ココア
2021年06月20日(日)
144投稿

令和03年06月19日

西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
車での訪問でしたが、参拝受付後に駐車場の入場チケットを頂けるという初めてのシステム。
知らなかったので戸惑いました^^;
やはり、武田家ゆかりの寺社が多いですね。。。

※公式ホームページより※
http://daizenji.org
天下統一を競った武田信玄亡き後、勝頼は織田徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正十年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かしました。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田徳川の連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月11日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来五百年続いた甲斐源氏も滅亡しました。
その一部始終を目撃した理慶尼が記した「理慶尼記」は「武田滅亡記」ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に保管されています。
勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されています。

大善寺の御朱印
大善寺の山門
大善寺の建物その他
大善寺の山門

りっぱな山門です。

大善寺の本殿

拝殿

大善寺の建物その他

山門から参道を上から見下ろした写真

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惣一郎
惣一郎
2022年04月15日(金)
1269投稿

【甲斐国 古刹巡り】

大善寺(だいぜんじ)は、山梨県甲州市勝沼町にある真言宗智山派の寺院。山号は柏尾山。正式名称は「柏尾山鎮護国家大善寺」。本尊は薬師如来。甲斐百八霊場第十八番。別称は「ぶどう寺」。本堂(薬師堂)と厨子は国宝、薬師如来及び両脇侍像、日光・月光菩薩像、十二神将像は国指定の重要文化財。

創建は不詳。寺伝によると、奈良時代の718年に僧・行基が日川渓谷岩上で霊夢により感得され、薬師三尊像(片手に葡萄を持ち、片手で結印した薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)を刻み安置して開創。聖武天皇の御代には鎮護国家の勅額と寺山号を賜り、五十二堂三千房を数える隆盛をみた。往時の堂宇は平安初期に焼失したが、971年に三枝守国が再建、以後平清盛、源頼朝の寺領寄進や堂塔修復、北条貞時による薬師堂再建、仏師・蓮慶の日光・月光菩薩、十二神将増の政策、武田信春の厨子寄進など、時の為政者と大衆から信仰された。

当寺は、JR中央本線・勝沼ぶどう郷駅の南方2km弱の、人里離れた小山の裾野付近の斜面にある。目の前には甲州街道(国道20号線)が通っていてアクセスは良好。有料の駐車場付近に納経所・寺務所があるが、少し離れた場所に大きな仁王門、参道(階段)、薬師堂(本堂)が標高差をもって一列に並んでいる。やはり一番の見どころは、鎌倉時代に建てられた国宝の薬師堂。寄棟造、檜皮葺で、方五間の大きな建物は、圧倒的なオーラを放っている。本堂周りからの甲府盆地の景色もよく、有料拝観でも家族連れなどの観光客が多いのもうなずける。

今回は、本堂が国宝、薬師三尊像などが国重文ということで参拝することに。参拝時は休日の午後、自分たち以外にも何組かの家族連れなどが参拝に訪れていた。

大善寺(山梨県)

甲州街道の道の反対側から見た境内全景。

大善寺の山門

階段を上がると、大きな<山門(楼門)>。江戸時代中期の1704年建立。

大善寺の像

山門左側の<吽形仁王像>。

大善寺(山梨県)

山門右側の<阿形仁王像>。

大善寺(山梨県)

山門をくぐったところ。さらに階段を登っていく。

大善寺の建物その他

階段の上には、大きな建物が見える。

大善寺(山梨県)

楼門の一種かと思いきや、<楽屋堂>という建物の下を通る形になっている。

大善寺の建物その他

楽屋堂の下を通って、階段を登り切ったところからの景色。

大善寺の本殿

こちらが今回のお目当ての国宝<本堂>。鎌倉時代後期の1306年竣工。桁行五間、梁間五間、寄棟造、檜皮葺。内部の様式から中世密教仏堂の典型的形式とされる。

大善寺の手水

本堂に上がる前に、本堂に向かって右手にある<水屋>。

大善寺の建物その他

水屋の裏手の高い場所にある<鐘楼>。

大善寺の建物その他

鐘堂の裏手のさらに高い場所にある<行者堂>。

大善寺の本殿

いよいよ本堂に向かう。遠目に見ても大きく美しい建物。

大善寺の本殿

<本堂>正面。

大善寺(山梨県)

<本堂>入口。扁額には<薬師如来>の文字。

大善寺の本殿

<本堂>内部。「瑠璃光如来」と書かれた大きな提燈が吊るされている。その奥には国指定の重要文化財である「木造薬師如来及び両脇侍像」、「木造十二神将立像」、「木造日光・月光菩薩立像」がある。

大善寺の授与品その他

珍しく授与品を購入してみた。(o^―^o)

大善寺の建物その他

本堂近くから境内を眺める。左の建物が階段を上がって来た時にくぐった<楽屋堂>、右の建物が<稚児堂>。

大善寺(山梨県)

こちらが<稚児堂>。神社の神楽殿のようなものかな。

大善寺の建物その他

稚児堂の脇にある<宝珠石>。地中でマグマが石を抱き込みながら出てきたもので「子抱き石」とも言われる。

大善寺の建物その他

こちらは<楽屋堂>。展望台のようにもなっているので月見台のようなものかな。

大善寺の建物その他

<楽屋堂>には上がることができる。

大善寺の景色

当寺から見える眼下の景色。
幕末の戊辰戦争では、1868年に当寺付近で板垣退助率いる迅衝隊が、近藤勇の率いる甲陽鎮撫隊と戦い勝利を収めている(甲州勝沼の戦い)が、この辺りかな。

大善寺の本殿

本堂の様子がさっきと違っているので写真に収めてみる。16時30分を越えて、拝観時間が終わり扉を閉めたみたい。

大善寺の本殿

最後にもう一度、楽屋堂の下をくぐる前に国宝<本堂>。

大善寺の建物その他

当寺の駐車場入口は山門の右手の少し高い場所にある。写真右側は<民宿・大善寺>。

大善寺の建物その他

駐車場の発券機の横にある<寺務所・受付>。拝観料の支払いと御朱印の拝受はこちら。

大善寺(山梨県)

駐車場の脇にある<水子地蔵像>。寺務所周りには、弁財天、大黒天、不動明王の小堂宇もある。見どころが多く、廻っていて楽しい~♪ (^▽^)/

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