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歴史

この建物は、聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として県内でも貴重なものである。堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られている。
建物の歴史は古く天正18年(1590年)七ツ内地内に龍沢寺東方にあった六角堂は、寛文四年(1664年)にこの場所に移されたが、文化4年(1807年)の大火により全焼した。「西郡沢登六角堂造営奉化帳」によると、翌5年に再建計画を立て、多くの方々の寄進により文化7年(1810年)大工棟梁田嶋村九兵衛の手により再建された。
この堂は、六角の平面を持ち六角堂の形式をとる建物で、同じ六角平面とした自然石を積んだ基礎上に建てられている。1辺が3.06mで柱も六角柱で作られている。
内部の円柱2本の頭貫に施された装飾彫刻や蟇股(かえるまた)の独特な意匠などは注目される。
屋根の支えは、三手先(みてさき)(寺院建築の組物形式の一つ)で組まれ、組物の中では一番立派なものといわれている。
建物は戦後に一部修理が施されたが、江戸後期の数少ない六角堂形式遺構として重要な建造物である。

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名称沢登六角堂
読み方さわのぼりろっかくどう
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご本尊聖徳太子
如意輪観音
宗旨・宗派
文化財

沢登六角堂(市指定文化財)
沢登六角堂の切子(県指定無形民俗文化財)

ご由緒

この建物は、聖徳太子信仰を伝える六角堂建築として県内でも貴重なものである。堂内には聖徳太子像と太子が信仰した如意輪観音が祀られている。
建物の歴史は古く天正18年(1590年)七ツ内地内に龍沢寺東方にあった六角堂は、寛文四年(1664年)にこの場所に移されたが、文化4年(1807年)の大火により全焼した。「西郡沢登六角堂造営奉化帳」によると、翌5年に再建計画を立て、多くの方々の寄進により文化7年(1810年)大工棟梁田嶋村九兵衛の手により再建された。
この堂は、六角の平面を持ち六角堂の形式をとる建物で、同じ六角平面とした自然石を積んだ基礎上に建てられている。1辺が3.06mで柱も六角柱で作られている。
内部の円柱2本の頭貫に施された装飾彫刻や蟇股(かえるまた)の独特な意匠などは注目される。
屋根の支えは、三手先(みてさき)(寺院建築の組物形式の一つ)で組まれ、組物の中では一番立派なものといわれている。
建物は戦後に一部修理が施されたが、江戸後期の数少ない六角堂形式遺構として重要な建造物である。

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