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みさきじんじゃ

御崎神社
山梨県 甲府駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
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-
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-

その他の巡礼の情報

甲府山の手七福神

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惣一郎
惣一郎
2022年04月19日(火)
1269投稿

【甲斐国 式内社巡り】

御崎神社(みさき~)は、山梨県甲府市美咲にある神社。式内論社で、旧社格は村社。祭神は稚産霊神、保食神、大国主神。別称は御崎稲荷大明神。

創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 巨麻郡 宇波刀神社 小」の論社となっており、他の論社としては宇波刀神社(北杜市明野町)がある。甲斐源氏武田氏が石和に居を構えた時に、当社をその守護神として居館内に祀ったとされる。戦国時代の1519年に武田信虎がつつじが崎に居を移し築城する際に当社も三の郭内に遷座し、武田家代々の崇拝社となった。1575年に城外西南に遷座したが、1582年の織田信長、徳川家康の甲斐侵攻で社殿を大破。その後甲斐国が徳川家康の領国となると諸社寺を復興し、1586年には家康が国内巡視で当社に参拝し、御崎大相撲(甲斐国産相撲の一つ)を上覧した。1594年の甲府城築城の際、当社は現在地に遷座した。

当社は、JR中央本線・甲府駅の北方1kmちょっとの、道幅の狭い古くからの平地の住宅街の中にある(したがって車では行きにくい)。西側ちょっとの場所に甲府第一高校がある。隋神門から始まる境内地は広々としていて、社殿は大きく堂々としている。かつては古木が林立していたようだがそのほとんどを切ったようで、境内は非常に明るく、境内中いたるところに巨木の切株がある。石製小社は多くあるが、建物の形の境内社はなく、見どころは少ない。

今回は、甲斐國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分たち以外にも参拝者が数組いた。

御崎神社の建物その他

境内南端全景。参道を少し進んで左側に<社号標>がある。

御崎神社(山梨県)

参道をかなり進んだところにある<鳥居>。古い年代の物なのか、柱間の幅が狭くて縦横比が独特。笠木の両端が反り上がっているのも特徴的。

御崎神社の建物その他

鳥居の扁額には「稲荷社」とある。当社の別称は「御崎稲荷大明神」。

御崎神社の山門

鳥居をくぐると、その先に<隋神門>が見えてくる。

御崎神社の狛犬

参道左側の<狛犬>。こちらは見た目違和感を感じないが、、、

御崎神社の狛犬

参道右側の<狛犬>。こちらは眼と歯に白い彩色、口に赤い彩色が入っている。目つきが鋭くて、ちょっと怖いかも...(^_^;)

御崎神社の山門

威風堂々とした<随神門>。黒を主体に白い彩色が入っている。屋根や躯体の状態からして、まだ新しいのかな。

御崎神社の本殿

隋神門をくぐったところ。社殿周りには大きな樹木が1本も見当たらない。

御崎神社(山梨県)

参道左側の<手水舎>。

御崎神社の本殿

<拝殿>全景。堂々とした構え。屋根や躯体の状態からすると、まだ新しいそう。

御崎神社の本殿

拝殿正面。上部に扁額はない。開いた扉部分には品良く簾が掛かり、扉には命名表が掲げられている。

御崎神社の建物その他

拝殿の左側から後方の本殿を見に行く。幣殿、本殿は瑞垣に囲われており、本殿周りには樹木が茂っているため、本殿自体は見えなかった...(^_^;)

御崎神社の末社

本殿そば左側にある境内社群。石製小社に個別に台座が付く。

御崎神社の末社

本殿の左側にある境内社群。豪華な台座にたくさんの石製小社が並ぶ。

御崎神社(山梨県)

さらに左側にある境内社群。台座が簡便なコンクリ造りになり、その上に石製小祠が並べられている。

御崎神社の末社

境内西側にある境内社群。基本台座もなく、ちょっとかわいそうかも。

御崎神社の建物その他

拝殿の左側に建つ、軽量鉄骨造りの<神楽殿>。

御崎神社の本殿

<社殿>全景。拝殿・幣殿・本殿は、全体見回した結果、けっこう豪華。

御崎神社の建物その他

最後に拝殿の右側にある<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/

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名称御崎神社
読み方みさきじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号055-252-4519
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神稚産霊神、保食神、大国主神
創建時代戦国時代
創始者甲斐武田氏
ご由緒

初め甲斐源氏武田氏が石和へ居を構えた時に、その守護神として居館内に祀られ、次いで永正十六年六月武田信虎公石和からつつじが崎に居を移し築城するに及んで三の郭内に神殿を建立されて御遷座、武田家代々の尊崇する神社となった。
天正三年四月城外の西南、塔岩地内に再建された社殿も整いしも天正十年三月牛生の乱にて社殿は大破、其の後徳川氏の代になり家康公国内巡視の際当社に参拝の折、御崎大相撲を上覧、それより御崎大相撲は甲斐国三相撲の一つとして有名になり今日に及んでいる。
降って文禄三年(一五九四)甲府城築城の際現在地に神領を賜り御遷座、甲府城の守りと甲府北部一帯の氏神と定められた。
当社は甲府における大社の一つで、氏子並に崇敬者の厚い信仰のもと今日に至っている。
幸い、社殿、随神門等も戦火をのがれ、現在の拝殿は昭和五年の改築である。

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