あさだじんじゃ
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そろそろ帰路に向けて空港に向かう途中、維新公園近くに鎮座しています。朝から気を付けていましたが、最後に水溜まりにしっかりと足を踏み入れてしまい靴の中までびちょびちょ🤣ナビも神社裏に連れていかれ踏んだり蹴ったり。常駐していない神社らしく、ひと気はありませんでした。
周防国五ノ宮ですが、近隣神社六社を合祀し、住吉神社の鎮座地に遷座しています。楼門は住吉神社のものと思われ、他の鳥居等も古いものは住吉神社か他の神社から移設されたものかもしれません。今回近くまで行かなかった一の鳥居は慶応四年奉納ですから、住吉神社の鳥居だったのかも。

慶応四年(1868)奉納の一の鳥居

二の鳥居脇の文政八年(1825)奉納の狛犬


二の鳥居

裏参道鳥居 ナビでこちらを案内されてしまいました

安永七年(1778)奉納の燈籠

文化十二年(1815)奉納の裏鳥居前狛犬


楼門前の嘉永七年(1854)奉納の狛犬



楼門 元の住吉神社時代からのもの



楼門背面

燈籠

拝殿前の嘉永七年(1854)奉納の狛犬


拝殿

扁額

拝殿内の奉納絵馬


幣殿

本殿


手水舎

手水鉢

燈籠

鐘楼

昭和二十五年(1950)奉納の鐘

燈籠

左、忠魂碑戦(元内閣総理大臣寺内正毅陸軍大将揮毫、この近所の出身) 右、明治廿九年(1996)建立の戦捷紀念碑(元内閣総理大臣山形有朋陸軍大将揮毫) 山口県には総理大臣経験者がいっぱい

文化十三年(1816)奉納の境内社鳥居
この先に稲荷の石祠が有りますが、足元がぐちゃぐちゃで近づきませんでした

朝田神社
明治三十九年に大歳周辺の以下の七社が
合祀された神社
旧郷社・朝田神社
現在の社名はこの社から取られたものだが
鎮座地は、現在地よりもっと西の
朝田地区であった
創祀年代は不詳。五ノ宮大明神とも
呼ばれた周防五宮
室町時代の明応六年(1497)に大内義興の
五社参詣の記録が残る古社
高井地区に鎮座していた、旧村社・八幡宮
創祀年不詳だが、宇佐八幡宮よりの勧請らしい
勝井地区に鎮座していた、旧村社・熊野神社
大内弘世が紀伊国熊野神社より勧請したという
黒川地区に鎮座していた、旧村社・八幡宮
山城国男山八幡宮(岩清水八幡宮)よりの勧請
現社地に鎮座していた、旧村社・住吉神社
摂津国住吉神社からの勧請。
今井地区に鎮座していた、旧村社・若宮八幡宮
鎌倉時代に宇佐八幡宮よりの勧請。
上湯田地区に鎮座していた、旧村社・八幡宮
創祀年不詳だが鎌倉の鶴岡八幡宮よりの勧請。

300m位でしょうか 真っ直ぐな参道
気持ちいいですね^ ^








未詳ですが祠があります

すぐお隣にも…
向きが違うのは意味があるんでしょうか?

忠魂碑

もとは湯田温泉の旧道沿にあったといわれ
佐用姫は三韓に出陣した夫を慕うて
九州の地で石になったという伝説の姫で
湯田の水商売の人達のお参りが多く
陽形が供えられていたと聞く。
境内・文化財
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| 名称 | 朝田神社 |
|---|---|
| 読み方 | あさだじんじゃ |
| 通称 | 五の宮 |
| 電話番号 | 083-925-3826 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| SNS |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》罔象女命,《配》誉田別命,気長足姫命,大鷦鷯命,田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命,表筒男命,中筒男命,底筒男命,伊邪那美命,須佐之男命 |
|---|---|
| ご由緒 | 創建年代は不詳。明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社は5番目であったことから「周防国五の宮」と称される。 |
| 体験 | 御朱印武将・サムライ |
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