御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

さがえはちまんぐう

寒河江八幡宮の御由緒・歴史
山形県 西寒河江駅

ご祭神誉田別命・比売大神・神功皇后・大山ヅミ命・月夜見命・伊ザナミ命・大己貴命・少彦名命
ご由緒

出羽国風土記・古社縁起等に依れば、今の高瀬山(郊外、島地区)近くに血縁・氏族等の大聚落の守護神あり、康平5年(西暦1060年)源頼義・義家奥州平定(前九年の役)の祈願をし、その霊験あらたかに依り寛治7年8月15日(西暦1090年)に八幡宮をお祀りし、神主1人を置き3,000坪を奉納した。
 後に、大江広元文治5年11月(西暦1187年)源頼朝より寒河江荘を賜り最上川西一円の地頭となり、建久2年(西暦1191年)産土神鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請し、社人4人と田地1,000石を寄進し併せて現在の地に鎮座せしめられた。
 以来400年の間大江城主は、神を敬い民を撫し水利を興し田畑を拓き、祭政一致殖産興業を勧奨し大いに仁政を布き氏子の信仰篤かった。
 出羽守最上義光に天正12年(西暦1583年)に亡ぼされたが、義光公も敬神の念篤く文禄年間より黒印を与え、後江戸時代に至り幕府直轄の御朱印となり寒河江本郷17ヶ村と川西総鎮守として歴代尊崇変わる事なく氏子に維持され、神威ますます厳然として現在に至っている。

歴史
歴史[編集] 社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える[1]。鎌倉時代の建久2年(1191年)、寒河江に入った大江親広が改めて鎌倉にある鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、八幡原の八幡社と合祀して現在地に社殿を創建して大江氏(寒河江氏)の産土神とした。谷地八幡宮・溝延八幡神社とともに「寒河江荘三八幡」と称され、武家の崇敬を受けた。現在の本殿は貞享3年(1686年)に拝殿は安永4年(1775年)に建築された。1940年(昭和15年)に県社に昇格した。 元の社名は「八...Wikipediaで続きを読む
引用元情報寒河江八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AF%92%E6%B2%B3%E6%B1%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=102089141

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ