ぜんぽうじ|曹洞宗|龍澤山
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楽しみ方善寶寺のお参りの記録一覧

所在地:山形県鶴岡市下川字関根100
山 号:龍澤山
院 号:
宗 派:曹洞宗
寺 格: 小本寺
本 尊:薬師如来
建 立:天慶年中
由緒
平安時代の天慶から天暦年間(938年 - 957年)頃、天台宗の妙達によって草庵が結ばれ、龍華寺と呼んだものを始まりとする。鎌倉時代の延慶年間(1308年 - 1311年)、總持寺二世峨山韶碩が龍華寺跡で教化を垂れる[要出典]。 室町時代の永享年間(1429年 - 1441年)、韶碩の七世法孫[要出典]、曹洞宗の僧・太年浄椿がその遺志を継ぎ諸堂を復興し、寺号を善寳寺と改めた。(Wikipediaより)



























山号は龍澤山、寺号、院号は善寳寺、宗派は曹洞宗、ご本尊は薬師如来、北國八十八ヶ所霊場、第四十一番札所、奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、第十六番札所、平安時代の天慶から天暦年間(938年 - 957年)頃、天台宗の妙達によって草庵が結ばれ、龍華寺と呼んだものを始まりとする、鎌倉時代の延慶年間(1308年 - 1311年)、總持寺二世峨山韶碩が龍華寺跡で教化を垂れる[要出典]。 室町時代の永享年間(1429年 - 1441年)、韶碩の七世法孫[要出典]、曹洞宗の僧・太年浄椿がその遺志を継ぎ諸堂を復興し、寺号を善寳寺と改めた、姿を顕した二龍神(龍宮龍道大龍王、戒道大龍女)が寺号を授け、寺内の貝喰池に身を隠したという伝承が残り[ 、龍神信仰の寺として航海安全を祈願する海運関係者や大漁を祈願する漁業関係者などから全国的に信仰を集める。天保4年(1833年)に再建された龍王殿や安政2年(1855年)に寄進された五百羅漢堂、文久2年(1862年)に再建された山門、1883年(明治16年)に建立された五重塔などの諸堂のほか、菱田春草「王昭君の図」(国の重要文化財)などを保有する



































































次に善寳寺にて
山門の見開きの御朱印をいただきました。
山門の毘沙門天と韋駄天です。
この時期に直書きしてもらえるのはうれしいです。
龍女の見開きの御朱印は書置きのみで御朱印帳に糊付けしていただけます。
7月の御朱印「龍王尊」の御朱印です。
浄書していただきました。朝顔がいいアクセントです。
御朱印をいただいている間に堂内を参拝できました。
善寳寺では御朱印帳を頂きました。
緑地に龍の寺紋でシックなデザインです。
境内に入ると
龍華庵は善寳寺の前身の龍華寺の本堂です。
本尊は観音菩薩です。
総門は彫刻が素晴らしいです。
五重塔は明治時代の建立ですが、総ケヤキ造りで
高さ38mで五智如来が祀られています。
五百羅漢堂は安政2年(1855年)建立で
五百羅漢像が祀られ正面には釈迦三尊が祀られています
感應殿は本堂でご本尊は薬師如来です。
山門は文久2年(1862年)建立で
毘沙門天と韋駄天が左右に門を護ります。
善寳寺は曹洞宗のお寺で曹洞宗三大祈祷所です。
龍王殿は守護神の竜神様を祀るために建立し竜宮城を模して造られたといいます。
善寳寺龍道大龍王、戒道大龍女がまつられています。
貝喰池は境内から逸れて10分ほど歩きます。
人面鯉で有名になりましたね。
竜神堂が鎮座します。
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山門の見開きの御朱印

龍女の見開きの御朱印

7月の御朱印「龍王尊」の御朱印

御朱印帳

御朱印帳の最初の頁

由緒書

龍華庵

三十三観音堂

総門

五重塔

山門

毘沙門天と韋駄天

五百羅漢堂

山門と五重塔

弥勒堂

龍王殿への階段

感應殿

慈照殿

龍王殿

貝喰池

貝喰池

龍神堂

薬師如来さまを求めて遠出してきました。ちょっと前に「人面魚」で有名になったお寺です。










こちらは韋駄天?

こなたは多聞天?



綺麗な御朱印です
山形県のおすすめ2選❄️
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